手土産は芋ようかん#ツツジ
その頃祖母の家は東京の駒込の近くにあった。
今は寝たきりになってしまって
その家は無くなり私の実家にいる。
時々ひ孫の顔を見せにいくとにっこり笑ってくれる。
いつも自分より人を気遣う言葉をくれる優しい人だ。
大正15年生まれ。大正時代。
あまりに遠い響き。
戦時中もとんでもなく苦労したらしい。
祖母が生き延びてくれたおかげで
私は今子どもと過ごせているんだなあ。
寝ている間爆弾が降ってくるかもしれないなんて
心配をせず静かに眠れるのだから
こんなに幸せなことはないのだ。
正月とこのツツジの咲く頃に
祖母の家に遊びに行くのが
私の家のルーティンだった。
駒込駅はツツジが有名だと大人になってから知った。
ソメイヨシノの発祥とされる江戸の染井村は
現在の豊島区駒込周辺だそう。
1910年の駒込駅開業の際に
近所の植木屋さんが園芸用のツツジを植えてくれたらしい。
プロが植えたのだから
どうりで立派で見応えがある景観のはずだ。
幼い私はそんな古い歴史があるとはつゆ知らず
ピンクの花いつもキレイだなと思っていた。
躑躅。ツツジ。
難しすぎて暗記できる気がしないこの花を見ると
いつも「おばあちゃんち」の思い出が蘇る。
帰省する日は
舟和の芋ようかんを買って
行くのがなぜかお決まりだった。
幼い私は普段食べられない
この特別なお菓子が
とても好きだった。
芋ようかんの商品ページには
「芋 そのまんまの やわらかい味」とあった。
その言葉通りの優しい甘さの芋ようかん。
緑、ピンク、白など色とりどりのあんを
寒天で包んだまん丸つやつやあんこ玉。
この組み合わせがうちの定番。
昔あったか覚えていないけれど
みかん味や珈琲味もあるらしい!
この手土産を持って電車で向かう。
東京は大都会というイメージがあっても
少し主要な駅から離れれば地方都市とあまり変わらない。
静かな住宅街をしばらく進むと
密集する古い住宅街の中に祖母の家が見える。
古い家は一階が祖父の仕事場で二階が住居だった。
トロフィーや木彫りの仏様を作る仕事をしていた祖父の仕事場は
大きいドリル
井戸水がでる広い手洗い場
学校の技術室のような道具が沢山あって
私は秘密基地みたいで気に入っていた。
風呂がない家だったので銭湯に通っていたと母から聞いた。
玄関に収納は無く靴箱が山積みになっている。
二階までの階段が昨今では考えられない角度で
ほぼハシゴを登るようだった。
例えるならトトロに出てくる
屋根裏に向かう隠された階段。
周りがベニヤ板で薄暗く線香の香りがしてくる。
ぎし ぎし ぎし ぎし
なんとか登ってやっと居間に辿り着く。
祖母は物を溜め込んでしまう人だったので
一部屋は物で埋まっており
窓までの道があるだけだ。
部屋の隅の扉を開けると
本物のはしごがありさらに登ると
母のいた屋根裏部屋があった。
4畳半ほどの居間の食卓を
ぎゅうぎゅうに囲み食事をする。
祖母はいつも酒飲みの父のために
缶ビールを用意してくれていた。
食後はお楽しみの芋ようかん。
祖母の家でしか食べられない特別なおやつ。
くっくっく…と目を細め笑う祖母が
目に浮かぶ。
祖父が元気な頃は駅まで見送りに
来てくれていたのをぼんやり覚えている。
今は改装されて渡り廊下は無くなってしまったけれど
線路の上の小さい窓からひょっこり顔を出し
私たちが見えなくなるまで手を振ってくれていた。
ツツジでいっぱいのホームから
私は別れを惜しんだ。
家のまえで別れる時も
米粒くらい小さくなっても祖母たちはまだ手を振っていた。
道すがら綺麗に咲くツツジを見かけて
懐かしい記憶の切れ端を思い出した。
そうだ
もうすぐ母の日だから
芋ようかんを買って会いに行ってみよう。
感謝を伝えるのは少し気恥ずかしいから
数十年ぶりの芋ようかんをみんなで食べたい。
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