もっと早くに彼らと出会わなくて良かった。【ハヌマーン】
心を鷲掴みされたバンドがもう解散していると知ったとき、
「あーもっと早く出会っていれば……。」
と、誰しもが思うのではないだろうか。
2020年、私はSpotifyから流れてきたメロディにグッと心を掴まれた。
それ以降、定期的にその音楽を摂取したい衝動に駆られる。
ここ2~3年で新しく知ったバンドの中でも異様な依存度合いだ。もはや中毒。
2020年まとめでも挙げたが、
私がそこまで猛烈に心惹かれているバンド、というのが【ハヌマーン】だ。
彼らは、2012年に解散をしているスリーピースバンドである。
2020年6月9日(ロックの日)にサブスク解禁となり、そのタイミングでたまたまSpotifyで出会った、というのが、私とハヌマーンとの出会い。
私がハヌマーンを知った時には、もう彼らは解散をしていた。
「もっと早く彼らの音楽に出会っていれば…」
と、私も思った。
解散前に出会えていたら、
ライブに行けていたかもしれない。
彼らの今を追うことができたかもしれない。
学生時代に彼らの音楽と出会っていたら、
私の心の叫びを代弁してくれるような、何もかもぶっ壊してくれるような、衝動的な彼らの音楽に救われることもあったかもしれない。
こんなに夢中になれるバンド、なかなか出会えないから。
いまだに中毒のように頻繁に彼らの音楽を聴く日々を送り、
私はその考えを改めた。
そして確信した。
「私はもっと早くにハヌマーンと出会わなくてよかった」と。
出会った時代が違ければ
彼らが解散をした2012年8月、私は高校に入学し、初めての高校生の夏休みを謳歌していたと思う。多分。
私の地元が田舎町ということもあるのか、中学だけでなく高校でも、ロックバンドを聞いている人は少なかった。
実際私も、サカナクションとレミオロメン以外はあまり聞いていなかったし、BUMPとRADの違いがわからないほど、耳が肥えていなかった。(今思うと自分の耳を疑うレベル…)
数少ないバンド好きの友人にアジカンを勧められて聴いたときに、
「なんだこの変な曲は…」と思ってしまうほどに、音楽の理解が足りなかったし、音楽を知らなすぎた。
そんな高校生活を送っていた私が、【ハヌマーン】と出会っていたとして、
今と同じように心惹かれていただろうか。
そんな問いを自らにしなくても、答えは明白だ。
音楽に対して大きな知見を得られなかった高校生活を送り、大学が決まる前から絶対に軽音楽部に入部しようと決めていた私は、大学で希望通り軽音楽部に入部した。
音楽好きが集う軽音楽部。
入部してすぐ新入生歓迎ライブという題の下、先輩たちのコピーバンド演奏を見ることになった。
聞いたことがあるバンドの知らない曲、初めて聞くバンドのコピー、歌詞を一切聞き取れない雄叫びのような曲たち。。
軽音楽部で過ごした4年間は、否が応にでも、様々なアーティストについて知ることとなった。
恥ずかしながら、大学に入るまで本当に限られた範囲でしか音楽を聴いてこなかったので、大学4年間の記憶は私にとってかけがえのない大切なものであり、大きな転機となったとも言える。
大学に入るまで、【ELLEGARDEN】を聞いたことがない程無知な私だったので、ロックバンドの金字塔とも言われる【NUMBER GIRL】なんて当然聞いたこともなかった。
先輩たちがコピーをしていて初めて聞いた、NUMBER GIRL。
ガシャガシャ煩いサウンド。楽器の音に埋もれてなんて言ってるのかわからない歌。もはやこれを歌と言っていいのか。ただなんとなく、目の前の演奏が、音楽が、すごいことだけが伝わった。
先輩たちの演奏を見てYoutubeで本物のNUMBER GIRLの演奏も見たが、私には全く響かなかった。
初めてNUMBER GIRLをみた私には、ただ、なんとなくすごいバンド、ということだけしか伝わらなかった。
ハヌマーンを聞いたことがある人なら、なぜ私がNUMBER GIRLについてしつこく書いているのかなんとなくわかるかと思うが、
Wikipediaではハヌマーンのサウンドについてこのように書かれている。
大学入学時にNUMBER GIRLが一切響かなかった私が、【ハヌマーン】と出会っていたとして、今と同じように心惹かれていただろうか。
在学中、他大学のコピーバンドもたくさん見てきたが、ハヌマーンのコピーをしている人はいなかった。
いや、正確には、私の記憶上は、いなかった。
おそらくどこかしらでハヌマーンのコピーバンドはいたのかもしれないが、
仮にいたとして、私の心には響かなかった、ということだ。
その音楽が自分に響くかどうかは、その人の経験に大きく関係してくるもので、尚且つ記憶に根付くものだと私は思っている。
入学時の私には、NUMBER GIRLが全く響かなかった。
そんな私が、大学4年時に自ら志願してNUMBER GIRLのコピーをした。
4年間で私はたくさんの経験をした。
入学時に響かなかったNUMBER GIRLの曲は、4年間の経験を経て私に響くようになったのだ。
では、大学入学時はともかく、大学3年や4年時に【ハヌマーン】と出会っていたとしたら、どうだろうか。
多分、私は今と同じようにどっぷりと彼らの音楽にハマっていたのかもしれない。
それでも私は、ベース片手にいろんな音楽を享受する学生生活を送り、今以上にあれこれと思案する時間が膨大にあった大学時じゃなくて、
社会人になって限られた時間の中で音楽を享受する日々を過ごす今、【ハヌマーン】と出会えてよかったと思っている。
彼らの歌
私がハヌマーンに惹かれる理由は、たくさんある。
暴力的なサウンド。
それとは対照的に時折奏でられる繊細なギターメロディ。
スリーピースとは思えないほどの音圧・演奏力。
詩的表現の歌詞。
そして直接的な心の叫び。
衝動的な音楽。心の焦燥を表す詩。
あれこれと挙げだすとキリがないほどである。
人は誰しも表の面と裏の面を持っている。
そして人は誰しも内側に狂気を飼っている。
その内なる狂気を隠して生きている。
全ての人間がそうであると、私は信じてやまない。
だからこそ、綺麗な言葉を並べて誰かの背中を押すような曲ばかり歌うバンドには、どこか胡散臭さを感じていた。
歌は表現だ。
表現するってことはつまり、自分をさらけ出すことだと思っている。
それはもちろん文章も然り。
この嘘偽りのない心の声がダダ漏れの歌詞がとにかく私に刺さりまくった。
自分の本音を、狂気を心に潜めていつもニコニコやり過ごしている私のことを言ってるのかと驚くほどだったし、あぁ、やっぱり心の内に潜むこの悍ましい感情は私だけじゃないんだ、と安心すら覚えた。
今でさえこんなに刺さってしまう彼らの曲だ。
もし大学時にハヌマーンと出会っていたら、私はもっと彼らの音楽に依存して縋っていたかもしれない。
私の学生時代は、とにかく青かった。
多分誰だってそうだろう。
大人ぶって生きていたって、所詮は社会を知らない子供だ。
理不尽なことにいちいち苛立っていたし、解決できない悩みや答えのない問いを永遠と考えることに時間を費やし、不透明な将来にぶつけようのない不安や憤りを感じていた。
多分誰だってそう。
とにかく、青かった。
「じゃあ今はもう大人?」と問われると、
まっすぐな眼差しで「大人だよ」なんて言葉を言える自信は、私にはない。
でも学生時代と比べると、多分、いや、だいぶ大人だ。
それがいいことか悪いことかはわからないけど。
ハヌマーンの曲に感じる”青さ”を、
「そういうこともあるよね」「あぁ、そんな感覚が私にもあったなぁ」
と、当事者ではなく、あくまで物語の外側から見ている観測者的視点で受け取れるようになった。なってしまった。
多分、それが大人だ。
内に潜む狂気と情熱を密かに抱えながら、素知らぬ顔して爆音で音楽を再生して
心の中で「1人残らず呪い殺してやる」のが、きっと大人だ。
子供の私、つまりは学生時代。
初期きのこ帝国の暴力的且つ繊細で儚い音楽を聴いて、心の中で何度発狂し涙したことか。
あの時は、ただそこに存在しているだけの音楽を、"自分のための音楽"として聴いていた。
そして大人になった今、私は曲の世界をあくまで第三者視点で享受することができるようになった。
これは”私の叫び”じゃなくて、”私の叫びに似通ったところがある、彼らの叫び"なんだと思えるようになった。
極彩色の記憶に根付け、音楽
音楽は記憶に根付くものだ。
きのこ帝国の曲を再生すると、
秋の夜長に高架下を通りながら、雲隠れする満月を見て、今まで目を背けてきたいろんな現実が脳裏に一気に押し寄せてきて訳も分からず急に不安になって、静かに声をあげて涙を流した時のことを、思い出す。
だからこそ、
あの時の私の青い記憶に、【ハヌマーン】が存在しなくてよかった。
不安や焦燥感、そしていつも私に襲いかかってくる莫大な自己嫌悪の記憶に、
彼らの音楽が根付いていなくて良かった。
もっと物事を客観的に見れる”大人な私”に。
「あぁ、そんなこともあったよな」なんて笑って話せる”大人な私”に。
ハヌマーンの曲は、そんな"大人な私"の記憶に存在してほしいのだ。
『Fever Beliver Feedback』を聴くと、拳を掲げて叫びたい衝動に駆られるし、
『幸福のしっぽ』を聴くと、選択しなかったもう一つの未来に想いを馳せて過去を悔やむし、
『若者のすべて』を聴くと、情景が鮮明に頭に呼び起こされて心がぎゅっと縮こまる。
これまで散々大人ぶった偉そうなことを書いておきながら、
曲一つで、心の奥底に未だに息を潜めて存在する青い感情を呼び起こされてしまう私は、案外まだまだ子供なのかもしれない。
でもそれでいい。
大人のふりした子供のままの、あの"青さ"が息を潜めて存在するようになった"大人な私"でいい。
彼らはもう【ハヌマーン】として新しい曲を生み出すことはないけれど、
それでも、もっと早くに出会いたかったとは思わない
本当に、私はもっと早くに【ハヌマーン】と出会わなくてよかった。
今の私が、【ハヌマーン】と出会えて良かった。
あの時より、
もっと極彩色になった今の私の記憶に、
彼らの曲が根付きますように。
そんな思いで、
大人な私は今日も再生ボタンを押す。
「さぁ、いつものようにその音楽で私の脳を支配してくれ、ハヌマーン」
きいろ。