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26歳(-1日)

「26歳」をタイトルにした文章を
自由に書いてください。

『26歳計画』



もうすぐ、
私の26歳が終わる。
あと数時間で26歳は過去になる。

大学を出て4年。
見知らぬ土地に住んで4年。
社会人になって4年。

いろんなことがあったなぁ、
と思い返してみたけど、
特筆する出来事は両手両足で足りるくらいしかなかったりする。
存外、この4年間でいろんなことはなかったのかも。


26年生きて、毎年一つ歳を重ねるにつれて、
自分のことがちょっとずつわかってきた気もする。

「人の性格ってのは歳が2桁になると変わらないんだよ。だから自分を変えたい人は9歳のうちに変えないとね。」

なんてことを小学3年の担任の先生が言っていて、
その言葉をなぜだかずっと信じていたんだけど、
本当にそうなのかな、って最近は思う。

本質的な、根っこの部分は変わらないけど、
いろんなことを見て聞いて吸収して、それを養分にそこからどんどん成長して枝分かれしていくみたいに、年月を重ねるごとに自分も知らなかった側面を持つようになるんじゃないかな、
なんて思う。

「人間は考える葦である」と哲学者のパスカルは言ったけど、
確かに、私たちは思考を繰り返して精神的に成長する植物なのかもしれないなぁ、
なんて思ったりもする。



4年前、私はいろんな大切な繋がりを自ら捨てて、
見知らぬこの土地に住まうことにした。

私は、人との別れの後の”再会”が怖かった。
昔仲良くしてた友人と、成人式で再会した時、
私の知らない見知らぬ誰かみたいな、別の存在になってることがあった。
ぞっとして怖くなってしまうほど、みんなそうだった。

会わない期間、お互い違う場所で違うものを見て感じて生きていたのだから、
それは仕方のないことで。
仕方ないとわかってはいるものの、
「久しぶり〜!」と声をかけられて、思い出話なんてひとつもせずに、写真を撮って「ばいばい〜!」って手を振るだけの薄っぺらな関係に落ちてしまったことが悲しかった。
昔の楽しかった思い出もこの悲しい気持ちも全部忘れられればいいのに、と思った。

だから、
そうなる前に、大学の友人たちも私のことなんて忘れちゃえばいいと思った。
さよならした後再会しなければ、
もう2度とあんな悲しい気持ちを経験することはないのだから。

そんな薄情な私に、ふと連絡をくれる稀有な友人もぽつりぽつり、といる。
その度、その友人の記憶に私は存在してるんだな、と嬉しくなってしまう。
あれほど、気軽に会えない私のことなんてきれいさっぱり忘れてほしい、と思っていたのに。


こっちに来てからもあっけない別れは、たくさんあった。
いや、社会人になってからの方が別れは多いのかもしれない。

でも今では、そのひとつひとつに気が滅入るほど心を痛めなくなった。
悲しいけど、そういうことに慣れてしまった。

そしてそんな別れの度に考える。

私はあなたに何をあげられただろうか、と。
私の言葉が、記憶が、あなたの心のどこかに小さく残ってくれたら、どこかに引っかかってくれたらいいな、と。

そして楽しい時嬉しい時、ふとした時に、
小さく心に残っていた私という存在がうっかり蘇ったりしないように、時間とともに薄っすら消えてくれればいいな、とも。

「そんな人もいたなぁ、」って存在に、私はなりたいんだと思う。

今まで出会ってきたいろんな人の思い出に存在する”私”が綺麗さっぱり消えても、それは仕方ないことだと思う。
私の”存在”の記憶じゃなくて、”言葉”の記憶が残る、なんてことがあれば…それは何より嬉しいかも。
だから私は言葉を大事にしたいし、言葉を残したい。
特別大切な人には、可愛いリボンで包んだ言葉を贈りたい。
未来の私のために、色とりどりのリボンを買い揃えなくっちゃなぁ。




26歳の私、お疲れ様。
26年間あれこれと思考を巡らせてくれたおかげで、すこし成長できたと思います。
これからもっと、いろんなものを吸収してたくさんの時間をかけて枝分かれして、花を咲かせて、貰ったリボンでおめかしなんかをしたりして、、

誰かの記憶に残る言葉を贈れる、
忘れられる存在になれるように、


27歳も、頑張るね。



26歳最後の夜は満月でした






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きいろ。
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