自死について


人は誰しも死を考えたことがある、と誰かが言った。

かく言う私もそういうのとはちょっとちがうが、常にぼんやり時に強く「うわあ、死にてー」という感情とともに過ごしている。

何度もgoogle検索『死にたい 気持ち』などと検索してきた。

死にたいとは言うものの、生きていきたくないという気持ちの方が近しい。もう何かを考えたり、頑張ったりしたくないし、生きることに意味も特に感じない明日死んでも別にいいみたいな気持ち。

大半の人間はそんな思いを抱えていると考えるか、否そんなことを大半は特に考えもしないと思うか。実際に行動に移すのはほんの一握りなので誰にも想像すらできない。

死ぬことを沢山考えてきた中で、私が常に前提としてあったのは「死を考えてしまうことは悪いことでいけないことだ」ということだった。

人は自死についてあらゆる格言を呈してきた。

「親より先に命を断つのは親不孝である」

「自死は大罪である、残すものを悲しませる」

「死ぬ気力があればなんだってできる」

また、自死を匂わせる人々にこう言った。

「どうせ死なない、奴は構って欲しがっているだけ」

「人に話せるならあなたは死なないから大丈夫」

「死ぬなんてひどいこと言わないで」

以上の言葉の上に成り立つ倫理観は自死を悪とする最前提があり、止めなければならないものとした長年洗脳的に刷り込まれた道徳観念からくるものである。

故に「自死は悪である」しかし自殺志願者は「自死を考えてしまう」その思想はつまり悪でありいけないことであるから、その思想をもつその人そのものがおかしい、いけないのだということになり、それらは更に当人を追い詰める暴力にしかなり得ない。

特に「死んだら悲しい」なんていうのは無責任に放たれた、それも当人に多少の期待を含んだ言葉であり、もう一ミリも期待されたくない身からすれば、貴方のためにまだ無理して頑張って苦しまないといけないってことですかという解釈にしかなり得ない。

私自身は今はもう特に強く死にたいとは思わない。それはある言葉との偶然の出会いからである。自死についての思想を止めるための沢山の言葉を探していた時に偶然に出会った。

「自死を考えることはなにも悪いことではない」

なるほど、と思った。私は自身で自分の考えを否定し変えようと思わなくていいんだ。なんだ、いけないことじゃないんだ、なにもおかしくないんだと知った瞬間だった。

死を考える人は生きることに真面目すぎる人だ、と誰かが言った。また、人に 物に 人生に 何度も何度も否定されてきた人だ、と。

死にたい人に死ぬなということは余計に死にたいを加速させるだけでなんの救いにもなり得ない。同情されたり、無理に元気づけられたいわけでもなく、ただ死にたいという気持ちを肯定して普通の心の動きだと認めてほしいのだ。

まあこれは本気で自死を考え生と向き合っている人にしかわかり得ない感覚だとは思うが、とりあえず同士がいるならこれは是非互いが死ぬ前に共有しておきたかったこと。私は死にたいという思想、考えを肯定する。否定しない。という意思をここに示しておく。勿論自分でもその思想や気持ちを全然に肯定してやればいいと思う。

そこでもう一つ。「生きたくない」に含まれているのは生きづらいし、生きるのが下手なのでもうやりたくないですという感情。

生きることに真面目すぎる、とはよく言ったもので、みんなちゃんと出来てるのにみんなみたいにうまく出来ない、がいつも私の死にたい一番の理由だった。

なにもかも上手くやりたかった。自分が「普通に」「まともに」出来ると思っていたし、みんなが上手く出来てる前向きに未来を考えていることを本気で信じて疑わなかった。

ある日、私に心を見せてくれた友人が、それは実はまやかしだとこっそり教えてくれて、なーんだと思ったのを覚えている。

みんな自分を「まとも」に見せるのが上手いだけで同じ人生1周目で上手くやれてるわけなんかないでしょ、ということらしい。なーんだどうりで。

上手くやれるわけないのに、本気でみんなが「まとも」に「上手く」人生やれているということを信じて、みんな出来てるのに自分だけが出来てないと思い込んでいただけだったというオチ。

素人に紛れ込んだ見せ方上手な俳優達の表面的なお芝居に私はゲロ吐くまで泣かれてきたというのだ。あほらし。

以上のことを知ってから私は「まとも」に頑張ることを一斉にして辞めた。まず、自分をまともに見せようとするのを辞めた。発言に気をつけたり気持ちのままに動きたい欲望を我慢するのを辞めた。つまり、上手くやろうとして無理するのを全面的に辞めた。そうすると、不思議と嫌われても別にいいやと思うまでになった。失敗して駄目になってもそれで普通、くらいのものだと思っていたら、そんな自然体の自分のことをなぜか気に入るようになって、いよいよ死ぬ必要がなくなってしまった。という調子だ。

まあ人によっては「まとも」に重圧がかかっているタイプもあるだろうけど、その重圧(例に多いのは上司や親)に対してだけまともに見せ振る舞うという演技力を身につけるだけで良くて、芯から無理してまともになろうとする必要なんて全くない。というか人間誰しもちょっとはおかしいのが普通だと思う。

人間のありのままは、個性いっぱいでとってもクレイジーで素敵だ。私は少なくとも、まともな人より頭のおかしな人の方がユニークで大好きだ。その個性を個々には大事にしてほしい。

あと、わりに結構変人好きは多いので一部には愛されることが出来ると思うし、無理した振る舞いをすると体や精神に良くないので辞めた方が絶対にお得。自分の生きやすいようにやればいいと思う。ずっと根詰めするとそりゃ辞めたくなるくらい疲れちゃうので。

というお話でした。

最近死について話し合うことが多かったので気が向いて書いてみました。

このnoteは一銭にもなってないので、形式ばって書かずに好きに書くことにしました。ビジネス以外は自由に型にはめずにやります。その方が楽しい。

以上。


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