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10月の地球人

10月が終わる。
多くの人にハロウィーンイベントの月として記憶されるが、私にとっては生まれ月だ。
毎年この時期に体調を崩してしまう。
まるで、1年間に出た歪みを、誕生日前後にゆっくり調整するみたいに。
 
月の美しい季節でもあるせいか、晴れた夜には空を見上げる回数も増える。体調が良くないことも手伝って、のんびり過ごすので、空を仰ぐ余裕もある。
 
明るい月や、小さく光る星の並びを見ていると、この時代の、この国の、この土地に今こうして息をしていることを、ちょっぴり特別に思えたり。
また同時に、大なり小なりのたくさんの人生のうちの一つでしかない、とも思えたり。
私はただの、地球人なのだ。
 
 
占星学を勉強している友人は、天体の動きや並び、その影響などを話してくれる。生まれた時の星の並びが、その後の人生のさまざまな理由を教えてくれるという。
私は特に運命などはあまり信じる方ではないし、「生まれてきた使命」のようなものは無いと思っている。私たちは、ただ偶然に生まれてきて、息をして、死んでいく。それだけなんじゃないか。
 
しかしこの考えでさえ、モノを考える人間であるがゆえの歪みなのかもしれない。
何が真実かなんて、偶然かどうかなんて、本当のところは知り得ないことであるようにも思うから。
 
 
1950年代に行われた牡蠣の実験を思い出す。
牡蠣は干潮で殻を閉じ、満潮時に殻を開くという性質がある。これは、干潮と満潮の時の海水の流れの変化や、水圧の変化を感知するものと思われていた。
ある時、アメリカのコネチカットの海で育った牡蠣を、海水も一緒にイリノイに移動させることで、牡蠣の殻の開閉は変化するのか、という実験が行われた。
 
イリノイに着いてしばらくの間は、牡蠣は故郷のコネチカットの海の干満に合わせて殻を開閉させた。これは習慣行動。
しかしその後、イリノイにもし海があったら(イリノイは内陸)、この時間に干潮満潮があるだろうと思われる時間に、牡蠣たちは殻の開閉をしだしたのである。
潮の干満は月の影響を受けることがわかっているため、この結果から、牡蠣は海水の変化を察知するのではなく、天体の変化を感じ取っているということが示された。
 
 
牡蠣がこのように生きているなら。
 
私たち人間も、もしかしたら同じ生物として、あるいは単に物質として、星々に影響を受けて生きているのかもしれない。
だって、ただの、地球人なのだし。
 
 
“せっかく”生まれてきたのだから何かをやり遂げなければ、とも思わないし、
“生きているうちに”幸せを追求しなければいけない、という義務感もないけれど。
それでも。
自分の姿くらいは、自分の立ち位置くらいはわかっておいて、殻を不器用に開閉しながら今日も呼吸を続け、私はここに居たいと思う。宇宙からみた一つの星の住人として。
 
 
夜空を仰ごうと窓を開ければ、届いてくる潮の香りと波の音。
 
一年の歪みをなんとか正し、またここから新しい一年が始まる。
もうすぐこの体調も元に戻るだろう。
牡蠣たちが海水ではなく月から影響を受けるように、私の身体も天体の動きを知っているのだろうか。
 
コネチカットからイリノイに運ばれた彼らのように、私ももうすぐこの地から遠方に移ることが決まっている。
海や水や土ではなく天体からの影響を思えば、どこに住むことになっても、私はただの地球人として安心して翻弄されていればいいのかもしれない。
 
 
 

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