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私のビーズを繋ぐ
行く先々でよく言われる言葉があります。
「あなたは、いろんなことがシンプルそう」
シンプルは好きです。
何もないくらいのシンプル。
色が映えるシンプル。
音が聴こえてくるようなシンプル。
きのうの夕食後に、心が静かになるシンプルな本を
とても久しぶりに手に取りました。
『簡素な暮らし』 mitsou著
タイトルのとおり簡素で、でも暮らしを静かに楽しんでいる様子が伝わってくる本。
mitsouさんの今の暮らしは、違う場所で違う形になっているだろうけれど、しんと流れる空気や、纏う暮らしの匂いは同じであればいいな、と想像しています。
背表紙が日に焼けて、もう古い本になってしまいました。
16年も前に買った本だもの。
大事にページをめくっていた若い私は、すぐ背後に、まだ居るのだけれど。
本をパラパラ見ていたら、寝る前に私がときどき開くアーミッシュの写真集と、同じものが載っていました。
そういえばこの写真集も最近手に取っていなかったことに気づいて、そうなると、ふいに、他にもいろいろなことを忘れてしまっているような気持ちになってくるのでした。
緊急性はないけれど、何か大事な、本当は私に常に必要なはずのものを、思い出さなければならないような気持ちに。
忘れてしまっている、だなんて。
人はいつでも、本質から離れたところで生きているもの。
それでも、ものごとの本質は必ずそこにあるのです。
自分自身がシンプルになることで、または身の回りをシンプルにすることで、見えてくるものはたくさんあります。
何を大事に思っていたのだったかな。
何が好きだったっけ。
何を感じたいのだったか。
記憶の動画を再生するのではなく、
たしか起きたはずのことに意味を持たせるのではなく、
生まれてからずっと、もともとあった感覚は何なのか。
物理学ではすべてのものが波のように動いて変化しているというけれど、
自分の中の凪いでいる部分に、どうにか到達すること。
そうやってときどき思い出したい。
歳をとるたびに感慨深くも焦るのは、
何を得てきたかな、何を持っているかな、何を経験できたかな、ではなく
ちゃんと目を開いて見るべきものを見てこれたかな?
ちゃんと心を開いて感じ取れるものを感じてこれたかな?すべてを味わってこれたかな?ということだから。
ああ、忘れてしまっている、だなんて。
そうやって、うつつを抜かして
無駄をいっぱい過ごして
ときどきハッと目が覚める瞬間の、その1点ずつをビーズのように繋いで
1本の長いネックレスを仕上げていくのが人生なのでしょうか。
それは特別美しくもなく、特別に粗悪でもなく、
一生懸命な日々の中で忘れてしまえるほどの儚い宝物。
感動するでもなく、泣くほど哀しいものでもない、
ただただシンプルな私。
人の目に私のシンプルが映るなら、そこには何が見えているだろう。
何が聴こえているのだろう。
たまに起こる誰かとのささやかな共鳴を楽しみに待ちつつ、
ミニマルな自分のビーズをキュッキュッと磨く日々です。
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