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死を想う
初めに
いま悩んでいることや、辛いことがある人はブラウザバックを推奨します。
死生観?
私の狭い交友関係の中で、私が仲良くしたいと思った人やお世話になった人には、
「私が死んだらお葬式に来て。そして、たとえ悲しくなくても泣いてくれると嬉しい」
と伝えています。
人が死んだ後にどうなるかはわからないですけど、私がどんな死に方をしたとしても、泣いてくれる人が多ければ多いほど、
「あぁ、私の人生に多少なりとも価値はあったのかもしれない」
と思えるだろうと考えたからです。
(私、中国の泣き女っていう職業、結構需要あると思うんですよね)
私にとって、自殺も他殺も事故死もどれも人生の終着点という意味であまり変わらないと思っています。
ただ、どうやって死んだかよりも、その死を悲しんでくれる人がいるかどうかのほうが私にとっては大切なんです。
(なので、最近家族葬が増えたり墓じまいが進んでいるのは、少し寂しく思います)
祇園精舎の鐘の声
小学生の時、先生から無常観の考えを聞いて、とても腑に落ちました。
人間、いつかは必ず死ぬ。
今がどれだけ辛くても、どれだけ楽しくても、隣の芝が青かろうが、そうでなかろうが、皆行きつく先は同じなのだと。
なので、終わりよければ全てよしという発想で私のお葬式に誘っています。
中学生の頃から始めたことなので、まだそんなにいませんが、死ぬ時までにお葬式に誘いたいと思える人がたくさんできるといいなと思います。
以下余談
もう、死ぬときは死ぬんだからしょうがないと言いますか。
諦めが早いと言いますか。
死ぬまでにやってみたいことはたくさんありますが、それがかなわなくても、まぁしょうがないよねとなるぐらいで、生きる理由にはなりえない気がしてしまいます。
けれど、最近はこの考え方が人生をつまらなくしているのではと思うようになりました。
なんだか、何かに執着できている人のほうが人間らしい人生を送れている気がしてしまって。
今後の指標として、ラインのステメにcarpe diemと書いてみました。
何も変わらないかもしれないけれど、よかったと思える人生になるように。