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カネコアヤノの大阪野音ライブに行った話

7月23日に、大阪城野外音楽堂で行われたカネコアヤノのワンマンショーに行ってきた。彼女のライブに行くのは初めてだった。
私はカネコアヤノのことを知ってまだ2年くらいだし、全部の曲を遡って聴いたことがあってイントロや歌詞を全部覚えてるとかでも熱烈なファンとかでもないけど、好きな曲がいっぱいあって、それらは飽きることなくいっぱいいっぱい聴く。
特に「タオルケットは穏やかな」がリリースされてからの半年は毎日のように聴いていた。
だから野外ライブをやるというのを知って、夏だしライブ行きたい気分だし、カネコアヤノに会いたいし、行っちゃうか!と寝る前一人ベッドでチケットをぽちって、試験期間だけど行ってきた。
(つくづく、クレカ決済というのは良くも悪くも恐ろしい)

曲ごとの感想は省略しようと思うけど、一曲目は印象的だったのですこしだけ。

一曲目は「光の方へ」。
朝、アラームが鳴って、ねむいねむすぎる絶対寝足りないっていう日も、今日は爽快がんばろうっていう早起きの日も、よく起きてまずスマホで流す、私にとってのお守りのような曲だ。
一日を始める元気と勇気をいつももらっている曲、その届け手が今目の前にいて、それを生で聴いちゃうんだ私、って思ったら感無量で涙がせりあがってきた。

生きていると、ライブに限らず、絶対に泣くだろうなと思っていたときに泣かない(泣けない)ということを何度か経験するから、今回自分がこんなに素直に涙を流したのは意外だった。

とりあえず、カネコアヤノ、めちゃめちゃに歌がうまかった。
あらゆるアレンジも演奏も、その場でカネコアヤノが生み出して、ギターやドラムと共鳴して野音に響き渡る音の一つひとつが、心を深く震わせた。ライブに行く価値を実感させるように、どの曲も音源をゆうに超えていた。

陽が落ちても、月が出ても、ずっと蝉が鳴いていた。みんな片手にお酒を持ちながら、音楽に身体を心地よく揺らしていた。
3000人の間を吹きぬけていく風や、揺れていたステージや、音楽に負けないくらい鳴いてた蝉たち、くっきり浮かび上がる三日月なんかを印象的に思い出す。

MCなし休憩なしの2時間、心がフル稼働して、ついていくのに必死で、あらゆるものをただ受け止めていた。受け皿からこぼれそうなくらいの量で何かがずっと押し寄せていた。
こんな風に、言葉での取り出し方を知らない感情になる度、言葉の限界を思い知る。結局、言葉で説明することは噓をつくことなんじゃないか?って、今日はひさびさにライブに行ったから特に強く。
書いているとふと、これが自分の本当の気持ちなのか信じられなくなってくる。書けば書くほど、本当の気持ちから離れていってしまう気がする。

あの場で体験した気持ちを、私はどう頑張ったって、取りこぼすことなく言葉にできる日は来ないし、逆に言葉にできてしまったら困る。

でも、言葉にしないと、いつかは心をすり抜けて、上手く取り出せなってしまう気がするから、100%の精度じゃなくても、一番近いところをちょっと離れるとしても、出来る限りで言い表すことはけっこう大事なんじゃないかって思う。今日、私の心を打った歌たちだって、そこに歌詞として言葉があるから響くのだ。
そういった表現のチャンネルが、絵とか、歌とかである人のことがうらやましい。私にはそういう才能はないけど、表現方法のなかで一番身近で、頑張れそうなのが書くことなので、歌ったりできなくても素直に自分の心を書き続けようと思う。

ライブに話を戻すと、最中、自分はなにを見ているんだろう…?て思う瞬間が何度かあった。照明は星々のようにになったり炎のようになったり、走馬灯のように回ったりして、生演奏がすごくカッコよくて、意識を手放してぼうっとしてくる瞬間。
陽が落ちたあと、まっすぐな光を背に受けて立つチームカネコアヤノはまるでみんなを助けに来たスーパーヒーローみたいだった。本人たちが発光してるんじゃないかというくらいかっこよかった。

ここにいる人々と、今日は来ていない莫大な数の一人ひとりの「生」を、彼女の音楽と歌声が支え、勇気づけている。

自分が何者かも忘れて、ただ聴く人として没頭しているすべての人が、会場をでたあと、自分の生活に戻っていく。アーティストほど強力に一発で多くの人を救う威力はなくても、彼らだってそれぞれの生活のどこかで、誰かを勇気づけるのだ。

ソロ参戦で寂しくなるんじゃないかって心配もしたけれど、それは全くの杞憂だった。カネコアヤノの歌声と立ち姿は最高にかっこよく、会場に集まった全員であの気持ちを共有したから、会場を出るときの私は顔を上げてしっかり胸を張れていたと思う。ずっと、大人になりたくなさ過ぎて、自分が21歳になってしまったことをどう受け止めればよいのか分からなかった。
でも、とりあえず、今の私は悪くないなって思える。

カネコアヤノの音楽は、生きていると出会う小さい感情を丁寧にすくい上げて歌ってくれる。でも、絶対に「諦めんなよ」とか呼びかけたりはしない。笑
あくまで一人称で、私たちと同じ感情を歌う。それが背中と背中を合わせるようにそっと寄り添ってくれるときもあれば、ぽんと背中を押してくれるときもある。要は最強の相棒なのだ。



目の前の日常生活を、どんな感情も、肯定してくれてありがとう。
一緒に生きてくれてありがとう。

カネコアヤノを好きな人はそんな気持ちで彼女の音楽を好きなんじゃないかと思う。

若気の至りか どうでもいいことだ
これからの話をしよう 祝日どこに行きたいとか

カネコアヤノ「祝日」より

私はいま学生で、祝日なんか待たなくたってその気になれば授業を切ってどこへだっていける、なんとも贅沢な身分だけど、次の祝日どこにいこうか考える。
そうすると、明日からの日々が明るく見えてくるから好きなのだ


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