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インド旅行日記その5(終)「無念のギブアップ😫」
突然ですが最終回です。19日目から。
・19日目(2/17) コーチン→ハイデラバード 「ハイデラバードのアホすぎる道路事情」
さらばコーチン。移動そのものが目的と化している俺の旅のスタイルを考えると、旅行でひとつの街に一週間以上も滞在するというのはことによると生まれて初めてかもしれない。
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コーチンの空港へは出発予定時刻の3時間半前に到着。モニターを見ると俺の乗る便だけタイムリーに「DELAYED」の表示が出ていた。けれどもかまわない、俺は別に急いでいるわけではないし、スマホの中には大量の電子書籍のストックがある(今日から大著『マッドマックス 怒りのデス・ロード 口述記録集 血と汗と鉄にまみれた完成までのデス・ロード』を読みはじめた)。インドに来て何か変わったことがひとつでもあるとすれば、まさにこの感覚なのかもしれない。インド人的な時間の感覚とでもいうのか、鉄道や飛行機がいくら遅れようが気にせず、目の前の大行列が一向に進まなくても微動だにしない、分刻み秒刻みでもって時間に追われる都市生活者とは真逆の、ある種の鷹揚さのようなものを身につけた気がする。
ところで、空港の中では困ったことがあった。「べらぼうに高いインドの空港価格」である。インドでは基本的に富裕層しか飛行機を使わない(LCCでも同じ)。そのうえ、往路のチケットを見せないと建物の中に入れないシステムをとっているせいでどこも非常に閑散としている。じゃによって、空港の飲食店は数少ない金持ちの客から搾り取るために不当に高い値段をつける。わかりやすいのがケンタッキーフライドチキンで、どのメニューもだいたい市中の価格の2倍ぐらいに設定されている。
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コーヒーにいたっては外のお店で飲むのと7倍か8倍ぐらいの開きがあるのではないかと思う。さらにつらいのが、この空港の保安検査後のエリアにはコンビニやゼネラルストアのようなものがなく(ムンバイにはあった)、水のボトルやジュースを手に入れようと思ったら、飲食店に行ってぼったくり価格のフードとセットで注文するしかないことだった。プライドだけは無駄に高いドケチの俺、ここで困じ果ててしまった。一番安いクッキーやケーキを頼んで貧乏臭いと思われるのはいやだが、かといってしょぼいサンドイッチに日本円で1000円近い金を払うのもいやだ…。誇張抜きに2時間悩んだあげく、出した結論がこちら。
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倹約家のインド人なら1日分の食費をまかなえてしまうお値段だ。でも、テキトーに頼んだこのティーケーキ、けっこうイケる。内側のふわふわした部分と外側のサクサクした部分とのコントラストが楽しいし、(インドのお菓子にあるまじき)甘さを控えた配慮もありがたかった。個人的には大当たりの部類。しかし、空港価格の悲劇はそこで終わらなかった。離陸後、機体が安定したタイミングでCAさんが紙コップに入った飲み物を乗客に配りはじめる。俺の順番が回ってきて「コーラをください」というと、彼女は「ツーハンドレッド」だと答える。あっ、お金をとるのね。そういえば今回乗ったインディゴはLCCの会社だったな…かなんか思いながら20ルピーを差し出すも、突っぱねられてしまう。前にも似たようなやり取りをした気がするのだが(笑)、そう、インドのLCCではちいちゃい紙コップに入ったコーラが200ルピー(360円)もするのだ。これにはたまげてしまった。突き返された20ルピーを財布にしまって途方に暮れていると、CAさんは苦笑しながら無料の水を手渡してくれた。あまりにも情けなさすぎるダロウ…。
コーチンを発った機体は定刻から1時間遅れてハイデラバードのラジーヴ・ガンディー国際空港に到着。ここから街の中心までは25キロも離れているんだけど、例によって鉄道やメトロなどの便利な乗り物はなし。もっともポピュラーなのはタクシーを使うことらしいが、持参した『地球の歩き方』にはシャトルバスがあると書いてあったので探してみることにした。空港の建物を出て前面の送迎スペースを歩いていると、都バスのようなカラーリングの電動バスが3台見えてきた。『歩き方』の記述ではバスがどこを経由するのかわからないのだけども、ブースのおじさんに聞くと、旅行者向けのホテルが多いメトロのナンパリー駅にもちゃんと停まるらしい。運賃は300ルピー。タクシーの半値ぐらい。バスは空港を夜の7時20分に出発し、綺麗に舗装された広い道路をスイスイと進んでいく。このペースで行けば8時には宿にたどり着けそうだ。ところが、中心街へと差し掛かったあたりでとつぜん車が動かなくなってしまう。
「これがハイデラバード名物か…」
ちょうど帰宅ラッシュの時間帯だった。道路は家路を急ぐ車やリクシャやバイクや歩行者たちでびっしりと埋め尽くされ、完全に身動きが取れなくなってしまう。
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マップを見るとこの20分でたったの1キロしか進んでおらない。もはや歩いた方が速いレベルだ。大渋滞の原因はいくつか考えられると思う。まずは単純に人が多いこと(ハイデラバードの都市圏人口は東京並み)、2つ目は道が狭いこと(路駐のせいで車線が減ってしまう)、3つ目は車の通れる裏道が少ないこと。そしてもっとも致命的なのが「路面が劣悪すぎること」だろう。市街地の幹線道路は穴が空いてへこんでいたり、路面がガタガタになったまま放置されているなどして、思うようにスピードを出すことができない。しかし、これを直そうとして道をふさぐとまたぞろとんでもない渋滞が起きてしまうから行政側も無視せざるをえない…という最悪のスパイラルにはまり込んでいるのだ。さらにアカンのがアスファルトの隆起で、ハイデラバードの市街地には道路の端っこから端っこまで10センチほど盛り上がったハンプのようなものがいくつもあって、この地点に差し掛かるたびに時速を3キロぐらいまで落として、ゆっくりと跨がなくてはならない。このハンプが100m間隔で来るもんだから車列のスピードは一向に上がっていかない。どう見繕っても道路が自然に隆起したようには見えないからおそらく行政が意図的に作ったんだろうが、何のためにあるのかさっぱり理解できない。はっきり言ってアホだと思った。結局、バスが宿の最寄りのナンパリー駅に着いたのは夜9時半過ぎだった。飛行機のぶんを含めるとだいたい3時間の遅れだ。
「返せやっ…俺の貴重な時間を…」
インド的な時間感覚はとうに消え失せていた。
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・20日目(2/18) ハイデラバード 「『陰キャとコミュ障こそ海外へ行け!』理論、叩きつぶされる」
「コミュ障の人間が安心して入れる飲食店を探すことの難しさ」について書きたい。お昼、安宿についていた無料の朝食ビュッフェを食い損ねた俺は、ナンパリー駅の西側にある激シブな外観の老舗ムスリム食堂に向かった。「店員がとても親切」という日本語のレビューを見たからだ。しかし、店員らしき人の案内で奥の席に通されたものの、待てども暮らせどもメニュー表がやってこない。いちおう予習はしてあったので、席のすぐそばにあったレジまで行って豆シチューのハリームとナンを注文する。レジ係は首を振ってうなずいてみせる。ところが、そのハリーム&ナンのほうも待てども暮らせどもやってこないのだ。というと、「いやさ、もう一度レジまで行って注文が通ってるかどうか確認してみればいいじゃあないか」かなんか言ってくる常識人が出てくるかもしれないが、余計なお世話だ。俺は極度のコミュ障にくわえて無駄にプライドが高い人間なのでそういうことがどうしてもできない。レジの係には間違いなく注文を伝えたはずだから、仮に落ち度があるとしたら向こうのほうだろう、と思ってしまうたちなのだ。ちなみに、インドではカーストが低いとおぼしき人たちが皿洗いや小間使いなどの仕事をしているんだけども、基本的に彼らを呼んでも注文は受けてくれない。「あっ、僕は専門外なんで…」みたいな顔をして去っていくだけだ。そしてこの店ではいったい誰が店員なのかわからない。店員なのか常連客なのかいまいち判別のつかない連中が店内をのべつにうろついているのだけれど、ぽつねんと佇む東洋人に対して誰ひとり話しかけてこない。こちらも万が一店員じゃない人に話しかけてしまったら…と思うのでなおさら声が出ない。その後、我慢比べが30分もの間続くのだが、敗北を喫したのは俺だった。飲まず食わずのまま無言で店を出る…。
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俺はつねづね「陰キャとコミュ障こそ海外旅行に行け!」と言っている。なぜなら、ある意味では国内よりも海外のほうが旅行をするハードルが低いからだ。その最たるものが会話で、日本人同士で発話に戸惑ったりまごまごしていたりすると、「こいつは人とまともにコミュニケーションを取ることができない社会の落伍者なんだな」というジャッジを下されてしまうのだが、海外では意外とそういう風にはならない。「目の前の外国人は私たちの言葉がわからないからうまいこと喋れないんだな」みたいな感じで大目に見てくれたりする(むろん相手が英語ネイティブの場合は話が別)。多少ダサい格好で歩いていても、「あんたの国ではそのファッションがデフォルトなのね」と受け取ってくれるかもしれない。おまけに、お互いの間に「コイツとはもう未来永劫会うことがないのだ」という共通認識があるから、コミュニケーションの失敗を気にやむ必要がないというのも大きい(かくいう俺は店員に話しかけられなかったわけだけど)。しかし、だからこそ、一度でもこの手の失敗をすると、飲食店で飯を食うのが億劫になってしまう。店員に人数を告げて店に入り、地元民の不審な目つきをやり過ごしながら席に座り、来るかどうかわからないメニュー表をひたすらに待ち、運良くやってきた店員に食べたい品物の名前をいい、運ばれた料理を食べてから会計をすませて店を出る、というフツーの流れをこなすことがなんだか途方もないもののように思えてくる。陰キャ&コミュ障的にはその流れを店員の側でサクサクやってくれるお店がベストなのだが、残念ながらそんな店と出会える機会はほとんどない。俺のようなみすぼらしいナリの人間が気後れしてしまう中級〜高級レストランではなく、かといって地元の人たちでにぎわう個人経営の食堂でもない、そのど真ん中を突いていくようなちょうどよい塩梅の飲食店がなかなか見つからないのである。しかし、この後に入った「グランド・ホテル」というレストランが理想のタイプだったので本当に救われた。滞在中は毎日行きます。
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突然で申し訳ないけど、あさって(2/20)にインドを出国する予定でいる。チケットもすでに手配してある。理由をあげはじめるとキリがない。インド人の気質の問題、大気汚染、大渋滞、路上駐車の多さ、のべつに鳴り響くクラクションの音、ポイ捨てされたゴミ、立ちションの臭い、トイレの汚さ、虫、街の歩きにくさ、見慣れぬ外国人に対する視線…それらもろもろが組み合わさった結果「もう疲れたな…」と思った。なかでも一番大きいのは「逃げ場のなさ」かもしれない。前回海外に行ったのはコロナ前の2019年、カザフスタンの首都ヌルスルタン(現アスタナ)からウズベキスタンのサマルカンドまでの2000キロを半月で縦断する、ということをやった。そこでは、ロシアの影響の強いカザフスタン、日本人に似たモンゴロイドの顔立ちが多いキルギス、中東っぽい雰囲気のウズベキスタン、などなど、陸路で国境を越えるたびに国の空気や人間の気質がガラッと変わる、そういう楽しみがあったわけだけど、残念ながらインドは違った。もちろん、同じ国を旅しているんだから当たり前だろう、と言われればそれまでなのだが、何千キロ移動しようが、どれだけ州をまたごうが、どれだけインドっぽくないと言われる街であろうが、そこにはやっぱりインド人がいて、相も変わらずインド人的な気質を振り撒きまくっている、という事実にいい加減うんざりしてしまった。これが最大の理由かもしれない。ニューデリーを出る復路のチケット代44000円はドブに捨てるはめになるし、チェンナイやマハーバリプラムのヒンドゥー教寺院を見ておきたかったのもやまやまなんだけど、インドのニガテなところを煮詰めたようなハイデラバードの街に降り立った瞬間、「一刻も早くこの国から出たい」と思ってしまった。こればっかりはもうどうしようもない。
ただし、俺はあくまで「インドを出国する」のであって、「日本に帰る」わけではない。ハイデラバードから日本へは直行便がなく、帰ろうと思うと必ず東南アジアの国々を経由しなければならない。そのなかで航空券がもっとも安いのはマレーシアのクアラルンプールに16時間半滞在してから日本に乗り継ぐ便だった。そこで考えた。「だったらいっそのことマレーシアも観光してしまえばいいんじゃあないか…?」と。調べてみると、ハイデラバードからクアラルンプールへは直行便がとんでもなく安い値段で飛んでいる。今回チケットを手配したのはフライトの直前だったから、平時の料金よりも10000円多く取られてしまったのだけれども、背に腹は代えられなかった。マレーシアにどれだけ滞在するかはまだわからない。大好きなプロ野球の練習試合やオープン戦が見たいからってんですぐに日本に帰るかもしれないし、しばらくいるかもしれない。クアラルンプールから鉄道でマラッカを経由してジョホールバルまで行き、そこから陸路で国境を越えてシンガポールへ…というのは一度やってみたかったので、ことによるとチャンギから帰ってくるかもしれない。今はこの「マレーシアに行くぞ」という心持ちが残りのインド旅を続けるいちばんのモチベーションになっている。
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さいぜん、飲食店に入ってフツーの手順をこなすのが億劫だ、なんてなことを書いたが、実は抜け穴がある。ホテルのルームサービスを頼めばいい。インドではどんな安宿にも品数豊富なメニュー表が置いてあって、電話で注文するとすぐに届けてくれる。しかも値段はべらぼうに安い。もちろん、「ルームサービスの担当に電話をかけて食べたいメニューを英語でいう」というのがおそろしくハードルの高い所業ではあるんだけど、勇気を出して頼んでみることにした。今回泊まった宿には地元で人気のレストランが併設されているので、ボーイが出来立てを持ってきてくれる。
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ミールスはともかく、パニプリだけはインドを去る前にどうしても食べておきたかった。インドの街中にはこれを出す屋台がそれこそ無限にあって、地元の人たちがおやつ代わりに食べている。しかし、胃腸がメチャ弱の人間としては衛生面や揚げ油の鮮度がどうしても気になってなかなか頼む機会がなかったのだ。で、このパニプリ、どうやって食べるのかというと、中が空洞になった揚げ菓子の表面にスプーンでチョチョっと穴を開け、そこに豆のカレーや玉ねぎや「緑色のスパイス水」を詰めて一口で食い切る、というのが本流らしい。俺もためしにやってみたのだが、今回のインド旅の中でもぶっちぎりワーストのクソマズ料理だった(笑)。まずこの「スパイス水」がそもそもの問題で、緑茶に大量の塩を混ぜ込んだようなイヤーな風味がする。一口舐めた瞬間に「これは無理だ」と感じてしまった。さらに、揚げ菓子の生地には水分を弾く性質がないから、せっかく注いだスパイス水が途中でタラタラタラタラ染み出してきてしまうのだ(笑)。これは別に作った人が失敗したんではなく、インド人が食ってるところを見てもそうだったので、シンプルに欠陥だと思う。
テレビのクリケット中継を見ながらのんびりミールスを食っていると、とつぜんさっきのボーイがやってきて料理を下げようとする。えっ、まだ配膳されてから45分ぐらいしか経っておらないのに。ルームサービスの刻限やレストランの閉店時間にもまだまだ余裕があった。いちおう「まだ食ってるんで」とか「下げないで」とか言ってみるのだが、向こうに会話をしようなんという気は微塵もないらしい。無言ですべての皿を片付けたボーイが去り際にはじめて言葉を発する。
「チップ」
なんで他人が食ってるものを強制的に奪いにきた人間に金をくれてやらなくちゃあいけないんだよ…。100ルピー渡した。
・21日目(2/19) ハイデラバード 「インド映画の聖地、ラモジ・フィルム・シティに行く」
こちらは長すぎたので別の記事にまとめました。
・最終日(2/20) ハイデラバード→クアラルンプール 「さらばインド&あとがき」
「インドは好きですか?」
インド滞在中にもっとも多く聞かれ、かつもっとも答えにくい質問のひとつがこれだった。今後もう二度と会わないであろう相手とはいえ、「嫌いだよ」なんて返しても仕方がないので、いちおう「好きだよ」と答えてはいたのだが、はっきり言って俺はインドが嫌いだ。というかインド人が嫌いだ。自分の非を絶対に認めないし、外国人をばかにジロジロ見てくるし、隙あらばぼったくってくるし、ところ構わず立ちションをするし、異常なぐらいクラクションを鳴らすし、他人の迷惑というものを一切考えないし、とにかく全員がやかましい。日本人のスタンダードな価値観とはあまりにも隔たりすぎているのだ。それでも「あなたはもう一度インドに行きたいですか?」と聞かれたら、間違いなく「行きたい」と即答するだろう。グローバリゼーションやスマホの普及によって世界がどんどんどんどん均一化して面白くなくなっていくなかで、インドほど刺激的でヘンテコな国というのはもうほとんど残っておらないのではないだろうか。俺自身、本来の帰国日より3週間も早く逃げ帰るはめになってしまったものの、「楽しかった」とは胸を張って言うことができると思う。今回行くことがかなわなかったチェンナイやバラナシやコルカタについては来年の同じ時期にリベンジしたい。でもって、アーメダバードの雑貨屋ブラザーズをもう一度訪ねるつもりでいる。
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最終日はハイデラバードの数少ない残りの観光地を回った。手始めに市の北側に位置するフセイン・サーガル湖という人造ダム湖に行った。19日目に「ハイデラバードの帰宅ラッシュはすさまじい」なんてなことを書いたが、今回それを訂正しなくてはいけない。なぜならハイデラバードの大渋滞は24時間365日延々と続くからだ。市内では比較的緑の多いこのエリアですらとんでもない混みようで、あまりの排気ガスの甚だしさに湖がけぶって見えるほどだった。
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旅の最後に向かったのは、16世紀に作られたお城の遺跡「ゴールコンダ・フォート」。車2台がすれ違うのもやっとというぐらいに細くて曲がりくねった城門を抜けると、下町の風情をたたえた城下通りが姿を表す。ここで立ち寄ったお菓子屋さんの親子は俺の持っていた北里柴三郎がどうしてもほしかったらしく、「インドルピーと交換してくれ!」なんつって執拗に迫ってくる。俺は今日インドを出るんだからこれ以上インドのお金はいらないよ、と抗弁しても一向に聞く耳を持ってくれない。お城の頂上にいたいかにも暇そうな警備員は、遠くに見えるビジネスビルの中身を一軒一軒くわしく説明してくれる。一通りまくしたてた彼はこんなことを言う。「ガイドしてやったんだから1ドルくれ」。空港に行くために呼んだタクシーの運転手は乗客の俺を乗せたまま、隣の車と煽り運転バトルを繰り広げる。「インドを出てしまうともうこういう人たちには会えないのか」と思うと妙に物悲しい気持ちになってしまうのであった。
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ラジーヴ・ガンディー国際空港へは出発の4時間前に到着。セキュリティチェックを終えたところで保安員のひとりが話しかけてくる。おそらくこれがインドでの最後の会話になるだろう。
「あんた日本人だよな? それじゃあもちろんアキラナカイは知ってるよな?」
「マサヒロナカイなら知ってるけど…で、アキラナカイって誰?」
「俺の空手の師匠なんだ」
知るわけないだろ、そんなもん…。けれどもなんだかそういうくだらないやり取りすら愛おしくて、無性に泣きたくなってしまった。
ここからマレーシアのクアラルンプールに飛んで、マレー鉄道を使ってジョホールバルまで行き、陸路でシンガポールの国境を渡ったのちにチャンギ国際空港経由で日本へ帰るつもりなのだが、搭乗直前になってあることに気づいた。マレーシアの入国に必要な電子アライバルカードをまだ書いておらなかったのだ。到着後に書いても間に合わないことはないものの、別に早いに越したことはない。名前やら国籍やらパスポート番号の欄を少しずつ埋めていく。ところが、初日に泊まるホテルの住所を記入する段になってはたと手が止まってしまった。
「そういえば朝に予約を取ったホテルってどこにあるんだっけ…?」
調べた結果、出てきたのはブリックフィールズなる地名。マレーシアでも指折りの「インド人街」だったのであった…。
(終わり)
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