【海と山の境目】 第2話 背後にあるサンドノイズ
笑うことを酷く嫌う。笑いが起こる所には、必ず誰かの犠牲がある。ややもすると、自虐で存在をアピールし、自分への注目を乞うだけだと。正反対には、微笑みがある。ほほ笑むことだけに専念する。ほほ笑みは、相手を征服したことだと決め込んでいた。
性に関して多感になる歳頃、隆志は、ふとした事故から、致命傷を負った。怪我からは回復するも、顔面の傷跡だけは消えることはなかった。思春期の彼には、心にも大きな傷となって遺ってしまった。どんな名医にかかれど、この傷は、現代の医療では修復不可能で、この先、300年経ったとしても治ることはないと表現する医者もいた。なかなか納得できるような回答だった。
鏡は視ない。トラウマとなった境界線をほどいたとしたら、傷跡だけが遺ってしまう。照らされれば火傷だけが映る。顔は必ず逆光から、傷痕を隠すよう視る。ただ、「あの時」を振り返れば、顔は硬直し、ほほ笑むことだってしなくて済む。もはや、30代半ばとなった彼の顔を無理に歪ませれば、皺だけは深く刻まれるようになっていた。時間を盗まれた。
歩いている。それは事実だ。でも、「あの時」を経た自分は、存在はしているのだろうか。ふり返り、影があると安心した。とりあえず光のある方向へ進んでいる。海を酷く怖れた。深まるほど暗くなる。影がなくなっていく。雨音と過ごした大切な時間が、刹那的な泡になって消え去ってしまうことに怯えた。ただ、彼女とエクスタシーを感じられた場所も、海の前の砂浜であることに相違なかった。
生き方だけでも前向きにできるように心がけた。心の内面の葛藤の影も、見せないように歩いていくかの如く。すると、周りは不思議と、背後にある影を観ようとする。傷跡の情けをもらいたいのなら、むしろ背後を少し取られても良いような構えておけばよかったのかもしれない。でも、雨音の苦悩も隠すためには、決して自分の顔の皺を隠さないで、常に微笑んでいなければならない。
ショーウィンドウに映る自分の顔すら恐怖を感じていた隆志は、乾燥しきった目で周りの人間を観つつ、雑踏の中にある周りの人達の声を聴いた。意思疎通のできていない無意味な笑い声は、ラジオのサンドノイズのように、隆志をイライラさせた。他方で、周りにいる全ての人の背中からも、自分と同じような影が伸びていることに震え上がった。