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私と『硝子戸の中』の話をする

まずはじめに

夏目漱石の作品を読む時間が好きだ。

時期を変えて『こころ』を繰り返して読んで、同じ文章を読んでも抱く感情が違うということを味わってきた。
『三四郎』を初めて読んだとき、自分に酔って、注釈ばかり追って肝心の話の筋が分からなくなって自己嫌悪に陥ったことも懐かしい。それでも、巻末のページを覗いて知らない物や出来事を知ることの楽しさを知ったのも、漱石の作品のおかげだ。時間を置いて『三四郎』を今度は注釈無しで読み返して、自分の目や思想が三四郎に成り代わったような心地がした衝撃も覚えている。
最近、『坊ちゃん』が哀しい物語だと感じ始めた。
『夢十夜』を読むとき、「ずっと続けばいいのに」という気持ちと「頼むから早く終わって欲しい」という相反する気持ちで頭がいっぱいになる。

そうやって夏目漱石の作品を読んできて、ある日『硝子戸の中』だけを読んでいないことに気が付いた。
避けていたつもりは無い。私はそもそも作家の随筆やエッセイが大好きだ。もっと考えると、夏目漱石の作品で特に『こころ』や『倫敦塔』が好きなのは、随筆らしさを感じているからだとも思う。ある人が見たものや考えたことを知ることは楽しい。『硝子戸の中』は「夏目漱石の随筆作品」だから、読みたくないわけがない。

それでも読んでこなかったのは、『硝子戸の中』が生涯最後の随筆であるということが心のどこかで引っかかっていたからかもしれない。
私は映画のシリーズ最終作から逃げ回ったり、ゲームでラスボスを倒すことから逃げ回ったりする、最後を忌避する人間だ。その性質の現れのような気もする。私の世界を広げてきてくれた作家の作品を読み切ってしまうことで、興味が尽きることを恐れたのだろうか。
それとも、作家最後の作品は最後に読もう!という謎のこだわりだったのだろうか。それはそれでちょっと気持ち悪い気がする。でも、私ならやりかねない。自分の考えていたことをすぐ忘れるから、困る。
どんな考えに基づいていたにせよ、私は『硝子戸の中』を読まずに生きてきた。

はじめて読んだとき

ようやく『硝子戸の中』読んだきっかけは、日本文学の授業で課された作品批評だ。日本の作品であれば任意の作品を好きに批評して良いという課題をもらい、ふと『硝子戸の中』のことを思った。その直後にはもう『硝子戸の中』以外でこの課題を提出することはできないという意思(思い込み)に捉われていた。それまで学術的な作品批評に取り組んだこともないのに、自分が重たい感情を持っている作品を選ぶのは、良くなかったかもしれない。

作品批評の対象に選んでから、『硝子戸の中』に向き合い続ける一か月が始まった。

初めて『硝子戸の中』の一文目を読んだとき、嬉しくてたまらない気持ちになったことを覚えている。そこに、夏目漱石がいたからだ。『硝子戸の中』はこんな文章ではじまる。

硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐに眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。

夏目漱石『硝子戸の中』p.1

淡々と自分の置かれた状況を説明しているだけなのに、文章の端々から思うように動けないもどかしさと、鋭い観察眼を感じる。これまで読んできた著作に通底する筆致であり、それでいて私にとっては初めて読む漱石の文章だった。心がいっぱいになってしまった。

何かとの出会いや別れとその説明に溢れた文章自体を繰り返し読み、関連書籍を探し求め、私なりに漱石が見た情景や時代の空気を知ろうとした。
そうしてできあがった作品批評は泣きたくなる程ちっぽけで、感想文にすらなっていないような代物だったと当時は思った。こんなにも一緒に過ごした作品に対してかけられる声がこれだけしか無い自分を恥じた。課題故に提出からは逃れられなかったが、これを専門家に提出するのか……と絶望的な気分になった。批評に対してどのような評価をもらったのかは都合よく忘れてしまったけれど、自分の不甲斐なさへの後悔だけが今も残っている。

漱石山房記念館のテーマ展示『漱石のみた東京』をみにいった

その後、『硝子戸の中』の文庫本は、私の本棚に押し込められて、他の作品を探すときに目に入ってぱらぱらと読む存在になっていた。

ある日、夏目漱石好きの読書仲間から、漱石山房記念館で『硝子戸の中』の展示に行ったことを教えてもらった。楽しそう、おもしろそう。そして会期の終わりが近かった。
行かずに後悔したくない!と思い、教えてもらった次の日にみにいくことにした。そして、やっぱり『硝子戸の中』は良いなと改めて実感する時間を過ごせた。紹介してくれた方に強い恩を感じる。教えてもらってなかったら、この機会はなかったんだな。

本棚から『硝子戸の中』を引っ張り出して鞄に入れる。なんとなく『坊ちゃん』も入れた。
秋雨が降る中、夏目坂を通って漱石山房記念館に向かう。道の途中で、猫の模様のマンホールや案内看板を見つけながら歩く。本物の猫にも会えたら良かったな。雨だからな。

到着すると、入口に展示の案内を見つけた。ロッカーに荷物を入れて、『硝子戸の中』だけをポケットに入れる。文庫本はポケットに入るから、いつも嬉しい気持ちになる。

少し時間が不安だったので、一度訪れたことがあったこともあり、常設部分は薄目で見る。文学館に行く楽しみを知った程すてき場所なので、魅力にあふれていて困る。それでも、文章が引用されて飾られている展示ではついつい足を止めてしまった。『彼岸過迄』をまた読みたい。


目的のテーマ展示『漱石のみた東京』にたどり着いた。

序章「『硝子戸の中』のこと」の最初に展示されていたのが、印象深い冒頭部分の複製原稿で心を掴まれてしまった。まわりに人がいない時間帯だったのもあって、ポケットから文庫本を取り出して、印刷された文字と漱石の手書き文字を見比べて読む。漱石の文字は芯はあるのだけれど慣れない言い回しやくずし字で、私の眼にはそのまま読むことが難しい。それでも、こうして私に届いた文章は、この手書きの文字から生み出されたものだと思うと、文章作品が伝わることの凄さを感じる。

『硝子戸の中』は朝日新聞に全39回連載された。今回のテーマ展ではその朝日新聞が複数展示されていた。同時代に生きて、漱石の連載を読むことができたらどんなに楽しいだろう。
朝日新聞を眺めていて、『硝子戸の中』と同時期に虚子が『柿二つ』という作品を連載していたことを知った。夏目漱石は虚子に勧められて『吾輩は猫である』を執筆した。生涯最後の随筆作品が、執筆のきっかけとなった虚子の作品と、同時期に新聞連載されているってすごい。粋な計らいなのかもしれないし、偶々なのかもしれないが、彼らが生きた時代に思いを馳せた。『柿二つ』も読んでみたい。

第2章「漱石のみた早稲田あたりのこと」第3章「漱石のみた神楽坂あたりのこと」には、『硝子戸の中』に登場する場所の当時と現在の写真や絵が展示されていた。見慣れた場所も多く、確かにここに生きていたのだなと漱石が生きた場所と現在の接続を感じた。

『硝子戸の中』には印象的な人物が多数登場する。私はこれまで彼らを漱石が描く文章上でしか知らなかった。今回の展示で第9章、10章で登場する太田達人の立ち姿や宿泊地、第14章で描かれる姉・御沢の顔つき、第25章に登場する楠緒さんとの交友など、文章を広げてくれる展示のおかげで、また新しい読み方ができたように思う。

テーマ展をみおわって少し時間が余ったので、常設展を見た。2階にある作品の紹介を読んでいて、漱石自らが『こころ』に書いた広告文を見つけた。

自己の心を捕らえんと欲する人々に、人間の心を捕ら得たるこの作物を奨む

  夏目漱石「『こころ』広告文」(漱石山房記念館2階展示室)

ああ、それで私は『こころ』を読んで止まないのか、と納得した。『こころ』を読むとき、自分を鏡に映しているような心地がする。今の自分が感じ入るのはどこなのだろうと見つめる時間を過ごすことができる理由は、『こころ』が「人間の心を捕ら得たる」作品だからなのだろう。

記念館を出ると雨がやんでいた。夏目坂を行きより強く踏みしめながら歩いた。
記念館を訪れることもまた、夏目漱石の作品を読む時間なのかもしれない。


自分の批評文をよみかえした

苦い思い出になっているけれど、自分が過去に『硝子戸の中』に対して何を書いたのかが気になった。漱石山房記念館の展示を見て、所謂その道のプロの人の批評を読んだ後なら、自分が何を思ったのかという冷静な視点で批評文を読み返せるような気もした。

読み返してみて、私が当時思っていたよりは、その時にできた精一杯の分析だったのかもしれないと思う。また忘れてしまうので、ここにざっくり残しておこう。

私は『硝子戸の中』を漱石の死生観という視点で分析した、らしい。

著者は第8章で、生と死について以下のように述べている。

不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死という境地に就いて考えている。そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。ある時はそれを人間として達し得る最上至高の状態だと思う事もある。

夏目漱石『硝子戸の中』p.25

晩年、病床において、死について思いを馳せる夏目漱石は、死を「最上至高の状態」と捉えていた。この考え方は、本文において、「死は生よりも尊い」と端的に述べられている。

そして、私はこれに対して大体こんな風に書いていた。

「死は生よりも尊い」という考え方は、今までの自分に対する否定と捉えることができる。なぜなら、今までの生よりも、先に待つ死を尊いと考えているからだ。人生の終盤において生を否定するということは、自分の人生の否定、諦めである。上記引用部分においても、自身の人生について「不愉快に充ちた」ものだと述べている。否定すべき自己の人生が、死によって「最上至高の状態」になると考えている。以上のように、『硝子戸の中』において、夏目漱石は生よりも死が優れているという死生観を示している。

拙文要約

このあたりで自信が無くなったのが見てとれておもしろい。頑張れ。
本当に死が最上至高であるという考え方は「今までの自分に対する否定」なのだろうか? 死を目前にしての人生の捉え方の変化だったのではないか、とも思う。

『硝子戸の中』では人々との邂逅も描かれるが、死に関するエピソードも多い。第3章から第5章で描かれるのは、愛犬ヘクト―という身近な存在の死だ。また、第17章にはほんのわずかにかかわった芸者である御作の死が描かれる。『硝子戸の中』で、夏目漱石は他者の死を通して自分の死を考えたのだろう。

それから

そして、私自身も、夏目漱石という他者が死について考えている姿を読ませてもらって、死について考えていたのだと思う。
結局、夏目漱石の作品を読んでいる時、私は自分のことばっかり考えている気がする。こんなにも面白い作品内容を提示されている時に、自分を顧みてばかりなことはエゴだなと思って、自分が嫌になるけれど、夏目漱石の作品を読む時間が好きなことには変わりない。

またいろいろ読み返そう。
あと、好きな作家、大体存命ではないの何とかならないかな。権力とかで。


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