アメカレの4月④ 混沌だからこそ見られた姿
こんにちは!
アメカレCチーム(授業者ではない職員)の今井です。アメカレには、息子も児童として通っているので、保護者の立場でもあります。
前記事のつづきで、GWまでのアメカレの日々を綴ります。
このように、なにも決まっていない、
手さぐり状態からスタートしたアメカレ4月。
時間も予定も決まっていないということは、
実際に過ごしてみると、先が見通せず、
大人や大きい子たちにとってはなかなかストレスフルでした(笑)
でも、だからこそ見られる姿がありました。
みんなちがう十人十色のやりたい!が交差してぶつかり合ったり。
だれかの好き!が、別の子のイヤ!だったり。
時には、
お互いの[気持ち]と[気持ち]がぶつかって、
葛藤したり、涙が出たりする場面もありました。
安心して自分を開ける場
そんなときに、ヘルプマン(※子どもが考えた授業者たちの呼称)が
その子の気持ちをていねいに扱いながら、100%全力で寄り添うシーンがあちこちで見られました。
ヘルプマンたちの半数がもともと公立小学校での教員経験のある先生たち。
教員時代にも、子どもたちに起こる衝突や葛藤などに、ちゃんと向き合いたいという想いがある一方で、日々の時間割や予定や「〜までに」「〜すべきこと」に追われてしまい、そのとき子どもに湧き起こっている「気持ち」を最後まで丁寧に扱ってあげられずに、心残りや悔しい思いをしたことがある、と話してくれたことがあります。
未完了な感情にフタをしたままその場をやりすごしたとしても、その感情エネルギーはその人の内に棲み続け、何度も何度も本人に訴えかけてきます。これはこころのシステム上そうなっているので、大人も子どもも関係なく、そういうことが起こりますし、身に覚えのある方も多いかと思います。
「未完了な感情」が多くなればなるほど、人は、イライラしやすくなったり周りを責めたりして、生き辛さにつながってしまいます。わかってほしさ、認めてほしさから、必要以上に頑張ってしまったり、反対に「どうせわかってくれないし…」と言って全てを投げ出してしまったり。
本当はこうしたかった。
本当はこう感じていた。
本当はこう思っていた。
という素直な感情を、ヘルプマンが「そっか、そうだったんだね。」と認めてくれる。安心してこころの内を開示でき、それを受け止めてもらえると、たとえ事態が自分の思い通りにならなかったとしても、[気が済む]ことが次に進める一歩になると感じます。
それをアメカレでは一つ一つ、
一人ひとりにすごく丁寧にやってくれているな、と感じます。
ここ数年、こころのことに興味をもってあれこれ探求してきたわたしから見て、これって、ものすごいことだな。と感動に打ち震えているんです。
そして、ヘルプマンだけでなく、
目の前に起こる一つ一つの出来事に対して調和をとろうと試みる子どもたちの姿があちこちで見られるようになっていきました。
衝突してる子の間に入って歩み寄り案を提案したり、
葛藤に苦しんでいる子に気持ちを聞いたり。
子どもたち同士、日々、試行錯誤しながら、人と人として仲を紡いでいっている姿が見られました。
そういうシーンが、
日々、経験として焼き付いて、
彼らにとっての[あり方]をそうぞうしていく礎になっていくことでしょう。
AI時代における学びとは
知識を身につけることや
複雑な計算などはすべてAIがやってくれる時代。
じゃあ、
人として幸せに生きるために学びたいことって、
じぶんや相手の中にある[感情]との付き合い方や、
人間に与えられた最も強力なエネルギーである[愛・感謝]の使い方だと思うんです。
[学校]のあり方というのは、それを学べる場としてあってほしいなとあらためて思うとともに、
アメカレはそんな生きた学びがある学校だ!と確信した4月でした。