第129回 河原院の幽霊 の巻
今回のネタは説話集『宇治拾遺物語』より。
左大臣・源融(とおる)が亡くなり、その息子から大豪邸を譲り受けた宇多天皇。
邸宅に融の幽霊が現れ「なんでお前がワシの家におんねん!」と怒られるのですが、宇多帝は融を一喝し追い出してしまった…そんな説話があります(怖い話の別バージョンもあります)。
しかし現実は、宇多帝は源融を一喝するどころか、まったく頭が上がらなかったはずです。
源融は、宇多帝がまだ源氏を名乗り、天皇の侍従(召使)をしていた頃からの重鎮。祖父ほど年齢も離れていた上、宇多帝が敬愛する嵯峨天皇の皇子です。阿衡事件の時も宇多帝のため奔走してくれました。また、経済的にも雲の上の人で…。
大・大豪邸「河原院」の広大な敷地はGoogleマップで見ると・・・ザックリですがたぶんこんな感じ(画像) 。
京都の土地勘がなくても、家1軒の広さがこれですから、トンデモナイ大豪邸だったことがわかると思います(敷地の幅が京阪電車ひと駅の距離の半分くらいあります)。
庭にはなんと、鴨川が流れていたとか。
さらに海の水を庭に運ばせ、塩釜の風景を楽しんでいたそうです(スーパーリッチ!!)
「河原院」は現在の京都の繁華街「河原町」の名称の由来にもなったそうです。
現在は京都「渉成園:しょうせいえん」で当時に近い風景が見られます。
というわけで…いつもの現場取材(?)です。
まずは河原院のモデル、源氏物語「六条院」の雰囲気だけでも見てみようと、京都駅から徒歩の距離にある『京都・風俗博物館』へ。
実際の4分の1縮尺だそうです。
ワンフロアだけで博物館としては小さいのですが、見ごたえありました。
そのまま雨ニモ負ケズ『河原院跡』へ。
弁慶&牛若丸で有名な五条大橋近くです。
現在は木が立っているだけで邸宅の痕跡はありません(背後の祠はお稲荷さんで源融とは関係なさそう)。
この時代のえらい人はみんな神様になるのか?っていうくらい祀られていますね。
調べてみたら案の定、源融も神様になっていました。
兵庫県尼崎市にある琴浦神社。御祭神は源融です。
当時この辺から海水を取り寄せていたようで、そのご縁から地域で祀られたようです。
「源融は光源氏のモデルだった」というのをネットでよく見かけますが、それは…ちょっと違うような。(うだチャンはもっと違うケド!笑)
光源氏のモデルは明らかに藤原氏の誰かということになると思いますが、その根拠は、またいずれ機会があれば書いてみたいと思います。