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第125回 白紙に戻そう、遣唐使 の巻

遣唐使は非常に危険な旅。

累計で約3700人も派遣されていて、そのうち無事に生還できたのは約1700人。生還率50%ない…!ロシアンルーレット以上の恐怖です。

危険の理由は船舶技術。

船のボディーは約30メートル、幅8メートルと推測されますが(思ってたよりデカっ!!)、一隻に150人ほど乗船することもあったとか…(本当かなあ? 人、乗りすぎ…すし詰め!!)。

帆は布製ではなく竹を編んだもの。

布に比べて風を受けにくい。効率よく受けるためにマストを長くするとバーが弱くなってボキッっと折れるという…。

ルートにも問題が。当時のルートは3つ(写真)。


道真の頃は朝鮮(新羅)との関係悪化でルート①が使えず。

②は都までの陸路がたいへん(日本の本州ぐらいの距離?) 。

残る③は大海を突っ切るため高確率で遭難する。

道真が遣唐使停止の書状で「航路 危険すぎ!」と言っていたのはこのこと。

今回の遣唐使計画は実に約60年ぶり。

しかし道真の時代はあえて遣唐使て行かなくても唐から船が頻繁に来るようになっており、必要性が薄らいでいました。

中止の本当の原因は「道真がビビったから」とする説もいわれますが、「ビビる以前にこれでは誰でもムリ!」って感じですね。。。

↑ 道真の書状 『菅家文草』より

■菅原道真っていつ頃の人?

「菅原道真って、どの時代のいつ頃の人?」という質問にパッと答えられません。

「う!平安…?は平安だよね…?」みたいな。

菅原道真といえば教科書でおなじみ「遣唐使を廃止した人」(実際は廃止ではなく中止)。

「白紙(894年)に戻そう遣唐使」だから「菅原道真は894年の人!」とわかります。

これさえ知っていれば「鳴くよ(794年)ウグイス平安京」から「いい箱(1185年)作ろう鎌倉幕府」の間の400年で「平安前期の人!」と導き出せます。

※近年の教科書で鎌倉時代は「いい国(1192年)つくろう」でなくなっています。

菅原道真は遣唐使をやめた人………あれ!?
「くだ…!」先生も気づかず花マル…!




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