見出し画像

僕らを救うためだけの言葉

2018年11月16日。
武道館で行われたamazarashiのライブ「新言語秩序」は、言葉のディストピアというストーリーを下敷きにしていた。テーマは「言葉を取り戻せ」。http://www.amazarashi.com/newlogosorder/

2018年12月8日
NPO法人soarの年に1回のカンファレンス。テーマは「語り」。べてるの家の向谷地さんは当事者研究の役割の一つは、あるいは回復のキーの一つは「言葉を取り戻す」ことにあると言っていた。

2018年12月15日
カウンセリング。カウンセラーからセラピーを最終段階に移行してもよいだろうと言われた。すなわち、今の自分の言葉で外傷記憶と向き合い、決別するということ。

これら3つの出来事は短期間のうちに、しかもなんの関連性も連続性もなく起こった。しかし共通するテーマは「言葉」で一貫している。これは僥倖のように思えた。契機に思えた。だから事業として打ち立てていた理念を、他人のためではなく、一旦すべて自分のために使うことにした。

というようなことを考えたのち、カウンセラーに「過去の自分に対して手紙を書く」という作業をしたいと提案してみました。現在は手紙ではなく代弁という形に変えていますが、こういうことをしてみようとを思ったのには理由があります。

試しに自分の中でかつて子どもだった自分に向けてこんな言葉を投げかけたときのこと。
「君はお母さんの手伝いでよく料理をしたよな。でもお父さんはそれを決して美味しいとは言わず、ここをこうしたらいいのに、とか求めてもいないアドバイスを寄越すだろう。美味しいよって、ただその一言が欲しかったのにな。
だけど絶望することはない。将来君の奥さんになる人は、君の料理をとても美味しいと、とても好きだと言ってくれる。だから君の痛みは必ず報われる」

この言葉を自分の中で紡いだ瞬間、なぜか涙が止まらなくなった。それは外傷記憶やそれに伴う感情が喚起されたときのような辛く痛いものではなく、明らかな温みを持っていた。その瞬間に悟りました。ああ、癒やされたんだと。

この体験をベースに、僕はかつての自分=「君」に向けて、今の自分が持つ言葉により、「僕ら」が求めてやまなかった言葉を新たに紡ぎ上げ、究極的には外傷性記憶に対する認知の変容と感情の昇華を目指す、というプロジェクトを立てました。

その後カウンセラーにこの考えを伝えたところ、やってみる価値は大いにあるし、今の状態なら大丈夫だろうと賛同を得られました。なのでその日から少しずつローカルで作業を続けています。

僕以外の人にとってはなんの価値も持たない事業だし、別にそれでいいと思っています。このプロセスの結果生まれた何かが、どこかで誰かの役に立てばもちろん嬉しいですが、そうそう都合のいいものではない。だから今は贅沢に自分のためだけの言葉を積み上げたいと思います。

自己救済プロジェクトというと何かカルト臭いですが、そこはご愛嬌ということで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?