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追想、令和2年「心が生まれる日」

この記事は2020年12月31日にブログで書いたものです。


大晦日、朝方から強い不安発作に襲われている。これがクリスマスに続いての記念日反応というやつなのか。ともかく、残り少ない気力をもって今年の記録を残したい。

社会がどう変わったか、何が起こったか、そういうことを総括するにはまだ早く、今は語る言葉を持たない。だが壊れていく社会とともにあったことを、なかったことにはできない。

年明け、子どもが生まれた。
家族というかたちを憎み続け、連綿と続くその歴史を途切れさせることを企てていたあの頃の自分が知ったら、何と言うだろうか。「変わったね」「すっかりパパの顔だね」と、そう言われることにも随分と慣れた。被虐待経験を持つ自分が、はたしてそれを連鎖させることなく断ち切ることができるのか、正直今でも不安だ。ことあるごとに侵入症状やフラッシュバックは起きるし、恐怖やそれにともなう本能的な怒りが喚起されたことは数え切れない。でも、それでも、友人・知人らは力強く否定してくれた。虐待を受けてきたからといって、あなたもそうなるわけではないと。僕はその言葉を信じようと思う。

寒い寒い冬の日に、子どもが生まれた。
そうして僕の死ねない理由がまた一つ増えた。

春になるにつれ、僕が社会とか世界とか呼ぶものは少しずつ狂って壊れていった。それは幼少期に体験した内面世界の混乱とリンクし、かつて経験した地獄が頭の中で再演された。そうして気づいたのは、自分が抱えていたのが複雑性のトラウマや早期トラウマと呼ばれるたぐいのテーマであったということ。僕の病いの語りは新たな章に入った。罪悪感の由来、恐怖の源泉。それらにようやく手が伸び始めていた。

長雨と曇天の夏。もう生活するのもギリギリだった。それは正直今も改善したわけではないが、フリーランスという働き方のリスクを引き受けたつもりだった自分の覚悟の甘さは、桁のいくつか減った収入という形で喉元に突きつけられた。待っていても売れないなら自分から売り出しゃいいのに、僕にはもうそんな力すら残っていなかった。そんな無力感や無能感は自分の父親の無様さを想起させた。もしかしたら失業した時の父もこんな気持だったのだろうか。そんなことを考え始めた頃に、僕の症状は一気に悪化していった。

秋の記憶はおぼろげだ。心が、存在が極限まで希釈されていたとしても、それでもなお肉体は稼働して変わらぬ「僕」を運営し続ける。そういう現象を解離と呼ぶことはもうずっと昔に知っていた。心もとない記憶の糸を手繰れば、引き揚がってくるのは妻と娘との記憶、それからカウンセリングの記憶。僕は父のようになりたくなかった。でもそうなってしまいそうだった。そうなりかけていた。

「そうなりたくないと意識すればするほど、そうなってしまう。それはごく自然なことだ」
主治医もカウンセラーも異口同音にそう言った。反面教師とするモノにならないという消去法では、おのずと道は狭まる。選択肢も限られる。だから僕がすべきはカウンターとしての生き方ではなく、開かれた「僕自身」としての生き方なのだと主治医は言った。

そして今ここに立って、僕は多くの仲間を得ながらも、なお孤独である。その由来は僕が僕であり、僕にしかない体験をしたという当事者性、個別性にほかならない。どれだけ似通った体験をしても、あるいは診断名が同じだとて、同一の語りなどありえない。そういう孤独だ。

カミュは『ペスト』において、ペストはその感染者たちを「めいめいの孤独に追いやっていた」と書き遺している。めいめいの孤独。それぞれの孤独、あるいは地獄。そういうものは他者と上手く共有できない。言葉を変えれば、自分が期待するほど「わかってもらえない」ことが多いと言えるかもしれない。そうして当事者としての孤独は募っていく。『食べることと出すこと(頭木弘樹)』は、その孤独の先に待つものが「自分対世界」の構図であるという。積もり積もった孤独や「わかってもらえない」怒りは、やがて抽象的で大きなものに向かうのだと。

かつて僕が、あるいは僕らが体験した傷とそれが連れてくる孤独は、今や社会に蔓延するものとなった。だれもが究極の個別性に直面している。いや、直面と言うよりは再発見だ。それはもともとあったのだ。個は本質的に孤であるにもかかわらず、社会はそれを覆い隠して群に仕立て上げていた。それが剥がれていくさなかの今、皆がそれを再発見しているように思えてならない。

だとすれば僕がやるべきはなんだろうか。こうしてとりとめもない文章を書くことだろうか。あるいは「孤独をなくす」とか、一見正しく思えるようなスローガンを掲げることだろうか。それはわからない。ただひとつ言えるのは、僕は相変わらず人がいかに世界と関係するかということに興味があるということだ。

それからもうひとつ、知りたいことが増えた。
心はいつ生まれるのだろうか。
娘はいつ、どうやって、どんな感じで「自分」を獲得するのだろうか。そんなことに興味が向くようになった。

こうやって中身があるようでない、思索らしきものを続けながら、僕は息を潜めている。もう少し前向きな言い方をすれば、種を蒔いている。それが芽吹くかは知らないが、いくつもの可能性に存在を賭すようなことが、ようやく僕にもできるようになってきた。

僕は期待しない。自分に、社会に。
支えてくれる人もできた。信頼できる友や仲間も増えた。守らねばならないものが増えた。そしてなにより、死ねない理由がまた増えた。

相変わらず生きる理由や目的はない。だが死ねない理由があればそれで十分じゃないだろうか。僕はまだ死ねない。人生や社会に期待はしないが、だからといって進むことをやめたりはしない。

当事者性を媒介にせずとも、社会と呼ばれるものについて語り、書けるようになりたい。来年の目標があるとすればそんなところだ。

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