12/9pm_2021
作業がてら話すつもりで弟とDiscordを繋いだら、どういう話の流れかInternet Archivesで昔の自分のサイトを見るみたいな会になってしまった。
正直、僕のように記憶や現実感が曖昧になる病態でこれをやると「いま自分はいつにいるのか」がわからなくなって混乱してしまうという副作用があるけれども、記憶が断片化されているからこそ、思い出せない過去の中で自分が何を感じていたかを知りたいという気持ちは強い。
だから年に何回か、ふと思い出したように同じことをする。中学2年生から高校1年生あたりまでやっていた個人サイトの日記。ログが残っているだけありったけ読み返す。
なんだよ。意外と楽しそうじゃねえか。というのが率直な感想。家庭の外の世界を知らなかったからこその、無知の産物なんだろうなと思う。自分が「普通」(あえて括弧を付けている)でないことに気付いていないからこその平穏。家族に関する記述がほぼ皆無なのが片鱗を匂わせるが。
かつての自分が思い描いていた未来は、結局思い描いただけで終わってしまった。だから今この自分が成し遂げたことや手に入れたものをもってその供養としてやりたい。
それでもまあ、生きていて良かったと思える瞬間はあるよ。
だから死なないでいてくれてありがとな。と言ってやりたいね。
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