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マネし続けたら、違うものになった

マネばかりの人生を送ってきた。

小1のころ、父が「南野陽子が好き」というから、雑誌『Myojo』の付録シールから南野陽子さんを見つけて、父の洋服ダンスに貼った。そのシールを見ながら「ここにホクロがあるから、かわいいのかもしれない」と思い、サインペンで右あごにホクロを書いた。

高1の春、「鈴木亜美に似てるよね?」と、ある男の子に言われた(好きだったのかもしれない)。
その週の日曜日に、アイドル誌から鈴木亜美さんのページを切り抜き、美容室へ向かった。第一声に「この髪型にしてください!」とお願いした。

しかし20代に入ったとき、わたしはマネをやめてしまった。だって誰かのマネするのってしんどい。否応なく想像を打ち砕かれて、結局その人にはなりきれない。そんなわたしを誰かに見られるのが気恥ずかしかった。

その後、わたしは「無難」を求めた。

誰にでも好かれそうな内巻きスタイルの髪型。少しだけ茶色に染める。それに合わせたまゆ毛。キツすぎないピンクのリップ。

TPOって大事。みんなに好かれたい。誰かをマネすることも、個性を追求することも諦めてしまった。

・・・・・

いったい、これからどんな大人になればいいの?

答えがでないまま30代に差し掛かり、この問いに答えを出せないでいた。

だから、わたしはもう一度トライすることにした。

そう、わたしはもう一度誰かのマネをした。

それは「おかっぱ」である。それも、えりあし全剃りの。

理由は明確だ。わたしはダンサーとして高みを求めていた。つま先から髪の毛1本だって、好きなダンサーと同じようになりたかったのだ。

わたしがマネしたのは、ある海外ダンサーだった。顔が小さくてキュート。そしてパワフルな踊り。髪型をマネしたら、ダンスだってうまくなるんじゃないかと思案した。

わたしの突然のオーダーに戸惑う美容師さん。

「ほんとにいいの?」

「はい。もう決めたんです。似合わなくても構いません」

「でも、かなり刈り込むよ?床屋さんに行った方が早いかもよ?」

「え、床屋?」

「刈り上げのスペシャリストは、理容師だからねぇ・・・」

「そこをなんとか、お願いします!」

美容師さんはだいぶ渋っていた。それくらい、わたしの髪はバリカンを多用しなければならなかった。

外国人の場合、もともとえりあしが短いので刈り上げる必要性がほぼないらしい。しかも髪の色素が薄く、毛も細いので目立たない。

でも私は生粋の日本人だ。えりあしは長く、コシの強い黒髪を持っている。

0ミリで刈りあげて、その後カミソリで剃ってもらった。青い地肌が丸見えになった。

しかし、気持ちは晴れやかだった。イマジネーションがどんどん湧いた。

金色のループのピアスをつけてみる。これならタートルネックが似合うかも。今度パープルの服を着てみよう。

マネをすることで、自分が形になっていく。この感じ、懐かしい・・・。

ふと思った。マネすることは、自分をもう一度作り上げることだと。マネから形成されたわたしは、もうマネではなく、自分らしさそのものだった。

恥ずかしさに無頓着だった子どものわたしは、人生で一番自分らしかったように思う。誰かをマネするのはカッコ悪いことじゃない。むしろ、なりたいものに手を伸ばさい方が臆病だった。

マネをすることがカッコ悪いなんて、もう思わない。

その先で、きっと、知らないわたしに会えるから。

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