「音楽」の裏切り
大学も決まり、高校卒業間近というところで自分には読む力が足りないと実感していた。読む力とは、文章を速く正確に、文章の各所をつなぎ合わせて合理的にまとめる力としておこう。そこで、とりあえず面白そうな題目の作品に手を出してみようかなぁと選んだのが三島由紀夫だった。
ピアノをやっていたから「音楽」という題名が気になって読んでみることにしたのだが、音楽を題材にしたものではないから驚いた。
少女期に兄と近親相姦をした時に味わったオルガスムスが忘れられず、現在の恋人とのセックスにおいても「音楽がきこえない」とのこと。彼女の不感症の治療のため、精神分析医のもとで深層心理に迫る——というあらすじだ。
この題名に用いられた音楽は、音楽を題材にした群像劇なのかと思いきや、「音楽がきこえない」=「オルガスムスを感じない」だったのだ。
今まで読書を大してしてこなかった私の感想としては、「なんだこれ」だ。学校では夏目漱石『坊ちゃん』や太宰治『走れメロス』、中島敦『山月記』などを読み純文学がどういうものかとりあえず常識の範囲としてわかっているつもりでいた。だがそれはあくまで受験のための読み物になっていた。センター試験対策として制限時間内にひたすら小説の抜粋を味わうことなく、もっぱら解答を料理するための具材としてしか扱ってこなかった。
純文学を何も知らなかったので、セックスを題材にした小説が本屋さんの小説コーナーに平然と陳列されていることがそもそも18歳の私には衝撃だった。セックスに関連する言葉が明るみに用いられることが悪だと思っていたからだ。今となってみれば、学校の教材としては当然扱われることのないセクシュアリティも、恋愛だとか、友情だとか、家族だとかと同列に堂々と深く掘り下げていっても良いのだと考える。
三島由紀夫は、立場や思想が周囲を違っている人物の人となりや思想に深く斬り込んでいくことで、登場人物の行動に面白さを見出してくれる。それが不感症の女であるとか、ゲイだとか、吃音持ちの青年だとか、他の天体から来たと思い込む家族だとか——様々だ。それこそ、純文学というものはそういうものであると理解させてくれる(しかし、純文学の中でも豪華絢爛で怒涛であると私は評価する)。
それまで私が読んできた小説やライトノベルは、ストーリー性がいかに巧妙で、キャラクターがいかに魅力的であるかに重きを置いて読んできたが(というかそれが大衆的に標準的だと思うが)、三島由紀夫は哲学的思想をベースに現代社会の中で実践的に、キャラクターとストーリーを設定している。もちろん、三島由紀夫のストーリー展開は理路整然としていてわかりやすく、キャラクラーもしっかりしているが、そこに重きは置かれていない。私が哲学にある時興味を持ったのは、三島由紀夫が原因だった。
そこから、少しずつ読書をしていくことにした。三島由紀夫を中心に、谷崎潤一郎や川端康成あたりを中心に読んでいった。
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しかし、そもそも読書を習慣としてこなかった私だ。難解な文章、一ページに含まれる文字数が多い箇所を見ると嫌気が差してくる。若干の多動なのでそうしたフラストレーションが溜まると、電車の中、カフェなどで貧乏ゆすりをして周囲を不快にさせてしまう。アトピーなのでじっとして読書をしているとお尻が蒸れて痒くなる。結局大学3年半、読了した本はあまりなかった。
おかげで、まだ読み切らずに積み重なった本が20冊ほどある。いつかちゃんと消費します。
最近は就活をやり直すことにしてから、時間に若干の余裕ができた。今までは「限られた時間の中でこれだけ読まなくてはならない」という条件を課していたから良くなかった。今自分に課したことは「とにかくたくさん読むこと」だ。8月に読んだ本は以下の通り。
川端康成「眠れる美女」
遠野遥「破局」
村上春樹「ノルウェイの森」
あさのあつこ「ランナー」
どなたかおすすめの本あったら教えてください。
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