「意味深だね。」ーAmayjigen『意味深海』
僕のオリジナル曲で、
『意味深海』という曲がある。
オリジナルを作り始めてから丁度10曲目の曲で、かなり気合を入れて作ったのを覚えている。
作った当初、共演者やお客さんから「この曲ってどういう意味なの??」とよく聞かれた。
僕はその質問の答えを、
未だに持ち合わせてはいない。
僕の記憶が正しければ、
『意味深海』を作ったのは2017年。
とても寒い時期だった。
初めて「転調」することを前提に作った曲でもある。だからこそ、サビはシンプルで聴きやすい歌詞が良いと思った。
ふとこの4行を思いつき、このサビメロをベースに作り始めた。のっけからひねくれまくった歌詞を書いていた僕からするとかなり新鮮な感じだ。
「届かない」というワンフレーズから、
空だとか、どこか遠方の地を連想しそうなものだが、僕は真っ先に「海」を思い浮かべた。
学生時代によく逃避行を繰り返した三保の海。
当時の僕の届かなかった思いは、大抵独りで抱え込んでは、あの場所に沈めてきた。
突発的に思いついたこの曲だが、本質的には自分の暗い過去が根付いていたのだと思う。
「海」を舞台にして僕なりの物語を創り、起承転結を意識しながら、曲を完成させた。
ギターのイントロや1番と2番の視点転換、転調した後の伏線。
作曲を始めて2年足らずの僕にとっては、かなりの自信作だった。
さて、無事に曲は完成したわけだが、ここで大きな壁にぶち当たる。
「タイトル」が決まっていないのだ。
僕は作曲を始めた当初から、楽曲の全体像が完成してからタイトルを付けることが多い。特にこだわりがあるとかではないが、物語をベースに作っているからこそ、その方がやりやすいのだと思う。
『意味深海』は曲こそすんなり完成したが、タイトルを付けるのに最も長い時間を要した曲だ。「海」や「届かない」といった明確なテーマがあったにも関わらず、それに見合う看板がなかなか見つからなかった。確か1ヶ月以上悩んでいたと思う。
そんな中でしれっと助け舟を出してくれたのは母親だった。
ある日、家で曲の練習しているとそれを聞きつけた母親がズケズケと部屋に入ってきた。
「良い曲だね! 誰の曲?」
僕が自分で作ったオリジナル曲であることと、タイトルがまだ決まっていないことを伝えると、母親が「歌詞見せてよ!」とせがむのでノートを見せた。
少し話は逸れるが、
母親は音楽教諭をやっていて、実家には「音楽教室」が併設されている。しかもその教室が防音ではないため、子どもの頃からリビングでゲームをやっていても、寝室で本を読んでいても、生徒さんや母親の歌声がほぼ丸聞こえといった環境だった。母親が教室を使わない時は、僕もそこでギターを弾いている。
ジャンルこそ違えど音楽には理解があるわけで、しかも昔っからそんな環境で育ったため、自分の歌を聴かれようと何ら抵抗がないわけだ。
そんなわけでライブを始めた当初はよく母親がライブハウスに遊びに来てくれた。お客さんや共演者からはよく「マザコン」といじられたが、まあ……………、感謝はしている。
知らんけど。
話を戻そう。
母親は音楽教諭と言ってもPOPSには疎くて、作詞作曲が出来るわけでもないので、当たり障りのない感想をちょこちょこ共有するくらいだ。大したアドバイスも期待していなかった。
しかし、歌詞を読み終えた母親が何気なく口にした一言が、曲の完成を導いてくれた。
「へぇ〜、意味深だね」
意味深…………
海……………
………………
「意味深海(いみしんかい)だ!!」
こうして『意味深海』という言葉は生まれた。
歌詞に意味を求めていないからこそ成り立つ、この曲にピッタリの言葉だ。
ちなみにこのエピソードを後に母親に話したところ、全く覚えていないらしい。
まあ……………、感謝はしているよ。
知らんけど。
『意味深海』はありがたいことにライブでも評判が良く、ソロライブでも長く歌い続けてきた。
冒頭で触れた通り、「この曲ってどういう意味なの?」と聞かれることも多い。
"意味深"な"海"の曲なので、きっと意味など無くてもいいけれど、人前で歌う以上は何かしらの意味を持たせた方がいいのでは?と葛藤する時期もあった。
しばらく時は流れて、
2022年 10月20日
僕はそんなやんわりとした葛藤を吹き飛ばしてくれる、とある楽曲と出会う。
僕の尊敬する、磐田出身のシンガーソングライター 遥奈(はるな)さんの『無明』という曲だ。
この曲の概要欄には、
「はじめ、なぜこのうたが生まれてきたのか、わかりませんでした。
それでもこのうたを書き終えた直後、なぜかとても安心したのを覚えています。」
とある。
『意味深海』を作った時も、正にそんな感じだった。意味が分からないけれど僕なりに気に入っていて、その実とても安心していたのだと思う。
個人的に遥奈さんの楽曲は、明確なテーマを以てロジカルに作る印象があったので、「なにも分からない」と提言した上で届けられたこの曲はとても新鮮だった。
この曲からは自分としてかなりの気付きがあり、感動のあまり遥奈さんに長文のメールを送った。
そのメールは同じく遥奈さんのやっているYouTube番組「遥奈とセナの銀河へひとっ飛び!」でも紹介していただいた。
動画内でも触れていただいているが、
遥奈さんが『無明』で光の"道"ではなく光の"粒"と表現したのは、単に道標になるだけでなく、リスナーと同じ立ち位置で共に導いてくれる存在を指しているのだと感じた。
そもそも『無明』という言葉には仏教用語で「根本的な無知」という意味がある。
だから「なにも分からないこと」が正解なのだと思う。
『意味深海』に明確な道筋が無かったのは、きっと遥奈さんの歌う「光の粒」の感覚があったからかもしれない。
「誰か」が誰であってもいい。
「何か」が何であってもいい。
それに、最初から答えは出ていた気がする。
一番初めに思い浮かんだ
「届かなくていいよ」というフレーズ。
そもそも、
届かなくても良かったのかもしれない。
それが届いたことで、
いくつもの意味が生まれたのだと思う。
この曲はこれからも「無意味」を背負いながら、深く深く海の底へ沈んでゆく。
その過程で湧き出た光の粒が、水面に向かって浮かび上がる時、僕はまた別の意味を伴った『意味深海』を歌うことになるだろう。
意味が分からないけれど、好きな曲だ。