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コミックエッセイ大賞に落ちた。しょぼーん。

(2021年に執筆した記事です)

noteで開催されていたコミックエッセイのコンテストに落ちた。自信があったわけでないけれど、まあ、大方、6〜7割の確率で何かの賞には入賞するんじゃないかな、と思っていた(それが自信あったって言うんだよ笑)。


就活を辞めた大学生が人生を模索し旅に出る体験談。一昨年から書き始めて、9話書き終えた。旅が終わりに差し掛かったあたりでこのコンテストが開催され、まさに私のためのコンテストだと思った。


コンテストのグランプリは、書籍化と、ドラマ化。

グランプリは難しいとしても、少なくともこんなに「いいね」してくれた人がいるんだし、荒削りかもしれないけどストーリーの筋書きは出来上がっているんだし、書籍化を検討してくれる人がいてもいいんじゃないか、と思った。どっちかというと、時代に合った題材だとは思うし…。

驚いたのは、入賞に「かすりもしなかった」こと。


第二回「#コミックエッセイ大賞 」結果発表


受賞作品を見てみる。(著者名略)

【幻冬舎賞】40歳になって考える父親が40歳だった時のこと

【テレビ東京賞】
いい加減婚活しなきゃと思ったアラサーオタクの漫画

【cakes賞】

ワクワクはどっち?

【特別賞】

ハトコの育児川柳

本気で目指した堂本剛の嫁

カナダの引越しが日本と全然違った話

ゴミ食う日々

35歳とか関係ない。人は傷つけられたら傷つくねん。


私の作品の何が足りなかったんだろう?これらと私の作品の、何が違うんだろう?

受賞作を読むと、どの作品も上手いし読みやすいけれど、、でもエッセイ漫画に求められているものとは、絵の上手さとかストーリー展開の面白さとかじゃない。それが「リアルさ」と「共感」、だとしたら、私の作品がこれらの賞にかすりもしなかったのはなぜだろう?なぞ。タイトルに年齢入れればよかったのか?「24歳、就職路線を外れた女子の末路っ!」って?笑



でも真剣な話、私の漫画には何かが足りなかったんだろうな。


・・

しかし今回のことで大きな学びが一つあった。

コンテストに落ちて、評価されず、そのことに予想外に「落ち込んでいる」自分を発見できたことだ。

評価されないのは悲しいことだ。でもよく考えると、その前に、私の作品に「いいね」って言ってくれる人が確かにいるんだから、本来はそれでいいはずなんだ。本来の目的のところ。「元気をもらえました」って言ってくれる人がいて、「書いてくれてありがとうございました」って言ってくれる人がいて、その人と直に繋がれ、その人の心に直接届けられたのだから、描くことの目的として、これ以上望むことはないはずなんだ。

私の目標のひとつに、漫画で収入を上げることだ(今はちょっとしたイラストの仕事や、noteの投げ銭でしか漫画の収入がない)。だから私がほんとうに商業的に評価されたいのなら、ほんとうに書籍化したいんなら、私は10年後、「36歳フリーター女の、おひとりさま暮らし♪」とかいうエッセイ漫画描くといいと思う。ちょい自虐的なキャラでさ、「天涯独身も悪くないよ!」って、一人の部屋でコーヒー飲みながら言うんでしょ。


あーーーー、すごく嫌な漫画描きそうだな。

嫌、嫌!嫌な感じの漫画になりそう!!目に見える。


・・

「他人の評価」の話。


私の中には「恐怖」がある。そのひとつに、やっぱり「評価されることの恐怖」がある。

伝え方を誤って、人が離れていくのは怖い。しかし、「これを受け取ったら相手はどう思うだろう」という忖度をするのはとても疲れる。「伝える」ことに他人の「評価」はいるのか?私は、インスタグラムでよく、自分の「想い」や「伝えたいこと」を表現すると、フォロワーがあからさまに減る場面がある。(多くは、環境問題や動物愛護についての投稿)


ああ、「思想」は邪魔なものなのか、とか思う。

だれも、誰かの「強い想い」なんて見たくないのかもしれない。。と思ってすごく落ち込む。



落ち込む。というかむかつく。最近、その「怒り」の持って行き場が分からない。夜中、衝動的に怒りを文字にし、ツイッターに投稿するも、いいねの数が少なく、下手すりゃフォロワーが途端に減ってたりして、そしてまた落ち込んで、投稿を削除したりする。


環境問題はじめ、動物愛護の活動をしている人が誰もが行き当たる問題、「伝え方」の話。あまりにも悲観的だったり、批判的だったりすると人は受け入れられない、むしろ反発してしまう。何かを主張したり誰かに変革を求める活動家に対して、攻撃的なコメントを投げる人が多いのはそのせいだと思う。だから「伝え方」には気を付けましょうね、って話はよく聞く。


やっぱり、表現することって、怖い。


冷静になって考えると、今回、一年半かけて描いてきたエッセイ漫画が微塵も評価されなかったのは、やっぱり悲しいことだったと思う。それで今日は意味もなく寒空の下、5kmも歩いちゃった。暴言吐きたくもなるよね。



どこもかしこも看板看板。ウゼェー


造花ウゼェーー!!



ああ、実のところ、私はとても悲しい。いろんなことが。



今の私のやることは、この悲しさを力にして、前進することだ。ちょっとずつ、ちょっとずつ。でもやっぱり、ちょっと、しょぼーーん。

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