『Egg〈神経症一族の物語〉』第2部 第二十九章
スペースインベーダーでついに瞬間ランキング1位になったオレこと高藤哲治は、夜になってサラリーマンでごった返す人ごみの中を鼻歌交じりで町田駅に向かって歩いていた。
「今日はついに9面をクリアできた! 『SAL』さん、隣で悔しそうだったなあ……」
数年後に名古屋撃ちという名前で全国区になるスペースインベーダーの裏技の原型は、ここ2、3週間のうちにインベーダーに熱中している人たちの間ですっかり有名になっていた。
そのせいで最近は町田のインベーダーハウスでもランキングの変動が激しい。トップ争いも状況が変わってきていて、「トリプルB」と「SAL」、「T」以外に、天才小学生の「UMA」が登場していた。
「UMA」は日中インベーダーハウスに来ていて、オレも一度だけ見かけたことがある。半そで短パン姿のごく普通の小学生の男の子だけど、インベーダーゲームの前で阪神タイガースの野球帽を前後逆にかぶり直すと雰囲気がガラッと変わる。
ジョイスティックを動かすスピードとボタンを連打する指の動きがあまりに速くて、オレでもちょっとマネできないくらいだ。
最初は当てずっぽうにやっていたみたいだけど、あるとき裏技に気がついてからぐんぐんスコアを上乗せできるようになったという。
とはいえ、夏休みももうすぐ終わる。子供でしかない「UMA」やオレは、二学期が始まると「トリプルB」や「SAL」のように毎日インベーダーハウスに通い詰めることはできない。
トップになれたのはめちゃくちゃ嬉しいけど、来られなくなるのが残念でたまらない。絶対ゼッタイ、もっとうまくなれるのに。
勉強やスポーツではいつもビリだったオレにとって、ゲームはついに見つけた唯一の希望だ。バレたらお父さんには殴られるだろうし、お母さんには呆れられるだろう。
でもそんなの全然関係ない。この世界にオレがオレらしくいられる場所があることがわかったのに、親の反対くらいなんだって言うんだ。
「2学期からも『原町田ゼミナール』に通うんだし、週3回はここに来られるんだ。毎日できない分、ゲームの回数を倍に増やせばいい。帰りが遅くなったってバレやしないだろ」
とこれからの算段をしながら歩いていると、道端にしゃがんでタバコを吸っている大柄の男性に目が留まった。
「あれ? 太一さんじゃないですか?」
オレが友達の川上直樹のお兄さんである太一さんに声をかけると、俯いていた顔がふっとこちらを向いた。
「えっ! だ、大丈夫ですか!?」
オレが慌てたのも無理はない。だって太一さんの左目の周りが大きな赤いあざになって腫れあがり、唇の横も切れて紫色になっていたんだから。
「お前、たしか直樹の友達の……?」
「はい、高藤哲治です」
「そうか、恥ずかしいところを見られちまったな……」
目をそらした太一さんのうなだれた姿を見て、オレは胸がぎゅっと締め付けられた。
「いえ、そんなこと……。あの、ケガしているじゃないですか。手当てはしたんですか?」
「してねえ」
ぶっきらぼうに言う太一さんを放っておくことはできない。
「ちょっと待っていてください」
と言って、オレは近くの円マックのトイレに駆け込んで、持っていたハンカチを水で濡らした。
走って戻ると太一さんはまだ同じ場所に座りこんでいる。オレもしゃがんで濡れたハンカチを太一さんに手渡した。
「腫れがひどくなるといけないので、冷やしてください」
太一さんは無表情のまま、オレが差し出したハンカチを手に取り左目に当てた。オレはちょっとほっとして太一さんの隣に座り直す。
太一さんの煙草の匂いと体の熱を感じて、オレは走った胸の動悸とは違う鼓動を体内に感じた。
煙草の煙をふうっと吐いて、地面に吸い殻を押し付けると、
「ありがとな」
と太一さんが呟いた。
オレは何を言ったらいいかわからず、黙ってこくんと頷いた。太一さんが言う。
「俺がバイトしていたバーがあそこのビルの5階にあるんだけど……」
と言って太一さんが見上げる方向のビルを、つられてオレも見つめる。派手な店の看板が上から下までずらりと並んでいるビルだ。
「美波が前に付き合っていた男が店にやって来て、あいつと別れろって迫ってきたんだよ」
相川美波さんは太一さんの彼女だ。小柄で胸が大きい美女を思い出していると太一さんが続けた。
「特攻服にリーゼント姿のヤツらが6人だったかな。俺が『美波とは絶対別れない!』と言ったら、全員で殴り掛かってきやがって……くそっ!」
ガッと拳で地面を殴ったせいで、太一さんの拳から血がにじんだ。構わずその手でもう一本煙草を取り出すと、火をつけて太一さんが話し続ける。
「タイマンなら負けねえんだよ。ったく……」
吸い込んだ煙をふう~っと吐き出し、オレをちらりと見た。
「悪い、愚痴っちゃって」
オレは両手をぶんぶん振って答えた。
「全然です! それでどうしてここにいるんですか?」
「ああ……」
また煙草を吸って吐き出してから、太一さんが答えてくれた。
「相手が大勢だからって負けるわけにはいかねえ。3人ノしたんだけど、そのとき店の椅子やグラスを使ってぶん殴ったから、店がめちゃくちゃになっちまって……たった今クビになったとこ」
「うわあ……」
オレが目を白黒させて驚くと、その顔を見て太一さんがぶっと吹いた。
「高藤、驚きすぎだろっ。目ん玉が飛び出そうだぞ」
「いやいや、太一さんすごすぎますよ!」
「ハハハ、そうか?」
ゆるく笑った太一さんがまた煙草の煙を吐き出す。
白い煙が空にゆっくり上っていくのを見ながら太一さんがオレに尋ねた。
「おい、今から帰るのか?」
「ハイ。そうです」
「じゃあ……」
と腰を上げた太一さんを見て、オレも慌てて立ち上がる。
太一さんはハンカチをオレに手渡すと、にやりと笑ってポケットから出したバイクのカギをチャラチャラ振った。
「手当てしてくれたお礼だ。送ってやるよ」