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『Egg〈神経症一族の物語〉』第3部 第三十八章

 「もう嫌だ、あんな両親なんて!」
 わたしこと高藤由美は布団をかぶって一日中イライラしていた。
 
 昨日、部屋でいつものようにバレエをしていたら、一階から忍び足でわたしの部屋の前にやってきた両親が、突然ドア越しにわたしを説得し始めたのだ。
 最初は猫なで声で機嫌をうかがうような話し方だったのに、わたしが返事をしないでいると、どんどんボルテージが上がっていった。
 そのうち、すすり泣いているお母さんをかわいそうに思ったのか、キレたお父さんが壊れそうなくらいにドアをバンバンと叩いて、「お前がどうなっても知らないからな!」と怒鳴り散らし始めた。
 さすがにお母さんが止めていたけど、あんなに怒り狂うなんて、お父さんはどうかしている。それにお母さんもお母さんだ。言いたいことがあるなら自分で言えばいいのに、お父さんを頼ってばかりでずるいったらない。
 
 数日、あの人たちに顔を合わせなかっただけで、自分が今までずっと、あの二人のわがままに振り回されて、心底うんざりしていたことに、はっきりと気づくようになっていた。
 100万円を当然のように巻き上げることもそうだし、お母さんの言いなりにならないと無視されたり脅されたりするのもそう。お父さんとお母さんのいいとこ取りしたコピー人形のように扱われるのもそう。
 結局、あの二人はわたしのことを、「高藤由美」という一人の独立した人間ではなく、両親の「所有物」と考えているのだ。
 そんな人たちに対して、わたしが今やらなければならないことは、たった一つ。あの人たちの言いなりにならない、ということだけ。たとえそのせいで、食べ物がなくなり、飢え死にしたとしても、あの人たちのことを徹底的に拒絶してやる!
 
 だから、わたしは両親の存在を全無視して、布団を頭から被ってヘッドホンから聞こえるJ—WAVEに聞き入っていた。
 そのあとしばらくの間、二人がもめている雰囲気が伝わってきたが、じきに聞こえなくなった。
 
 そのまま眠ってしまったらしい。ふと目を覚ますと、今度は玄関の外からお父さんの怒鳴り声が聞こえてきた。
 「近所迷惑な人だ」
 うんざりして悪態をついた瞬間、お父さんが「哲治!」という言葉を発した気がして、わたしはベッドからがばっと起き上がった。
 「……?」
 板を打ち付けた窓に近づいて耳をそばだてる。ハスキートーンの女性の声も聞こえる気がする。途端にバイト先にやってきたお母さんそっくりの若い女性をまざまざと思い出した。
 「お兄ちゃん……?」
 思わず口からこぼれ落ちた言葉に、わたしは背筋がぞくぞくするのを感じた。

 ドキンドキン! 

 高鳴る心臓の音がうるさくて、くぐもった外の声がますます聞こえなくなる。わたしは痛いくらいに耳を板に押し付けた。
 
 車が立ち去り、家の周りはしんと静かになった。お父さんとお母さんが出かけたようだ。
 
 何がどうなっているんだろう。
 お兄ちゃんが来たのかな。
 わたしのことには気がつかないで帰っちゃったのかな……。
 叫んだら気がついてもらえたのかな。
 お兄ちゃんと話したいことがいっぱいあるのに……。
 
 目から涙がぽろりぽろりと転がり落ちる。
 窓に打ち付けた板にしがみついて、涙が床に落ちるに任せていると、階段を上がって来るぎしっぎしっという音が聞こえてきた。
 そして。
 
 トントントン。
 
と、ためらいがちにわたしの部屋のドアを軽くノックする音がした。



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