『Egg〈神経症一族の物語〉』第2部 第三十三章(最終回です→第3部は9/25より公開)
「はあっ! はあっ! はあっ!」
どうしたらいいのか、どこへ行ったらいいのか。何一つわからないまま、オレこと高藤哲治は人気のない暗い道を自転車で走り続けた。
「ああっ、うああああっ!」
お父さんとお母さんの顔を思い出すと、頭がハンマーで殴られたように痛くなり、発作のような感情が噴き出してくる。オレは大声でわめき散らし、さらに自転車をこぐスピードを上げた。
「があああああっ!」
心臓がバクバクして汗が流れ落ちる。構わず自転車を暗闇に向かってめちゃくちゃに漕ぎ続けていたら、ふっと足元から地面の感覚がなくなった。
「!!」
その瞬間、オレは自転車ごと田んぼに突っ込んでしまった。
リーリーリーリー。
秋が近づいた田んぼからは水が抜かれ、BGMはカエルの鳴き声からコオロギに変わっている。
オレは稲の中に寝転んで、ぼんやりとその音を聞いていた。
「産まれてこない方がよかったのかな……」
お父さんに失敗作と言われるのは、なんとなく予想できていた。普段から成績が悪くなるたび、叩かれたり怒られたりしていたから。思い通りにならないオレの頭の悪さに呆れていることもわかっていたし。
だけど、お母さんがオレのことを「産まなければよかった」と思っていたなんて、ちっとも気がつかなかった……。
だって、お母さんは毎日オレにご飯やお弁当を作ってくれたし、好物のカレーもよく出してくれた。
オレがお父さんに殴られて鼻血を出したときも心配して手当てしてくれたし、ニキビが悪化するとすぐに薬を出してくれた。
抱っこしてくれることはなかったけど、それもオレが男の子で自立してほしいからだってお母さんはよく言っていたんだ。
それに、お母さんとは家で仲良くおしゃべりもしていたし、お父さんみたいにひどいケンカになった記憶もない。
さっき、「いつも私をがっかりさせる」って泣いて怒っていたけど、オレは一体何をしちゃったんだろう?
勉強ができないからかなあ?
スポーツができないからかなあ?
ひょっとして、オレの顔がおじいちゃんに似ているからかなあ?
でもおじいちゃんはとても優しい人だったよ。
なのに、お父さんとお母さんはなんであんなにおじいちゃんを嫌うんだろう。
そんなこともわからないオレに、お母さんは呆れてしまったのかもしれない。
お母さん、本当にもうオレのこといらないのかなあ。
いやだよ。
嫌われたくないよ。
「お母さん……」
口に出すと、お母さんとオレとの関係が永遠に断ち切れてしまったことを痛感してしまう。
オレはボロボロと涙をこぼしながら、ワーワーと泣きじゃくった。まるで赤ちゃんがお母さんを呼んでいるみたいに。
涙が出尽くしてしまった。
オレはまた頭の痛みをこらえながら自転車にまたがり、暗闇の中をさまよいだした。
どのくらい時間が経っただろう。
気がつくとオレは、16メーター道路のバリケードの前に立っていた。
「哲治、遅せえよ!」
と文句を言いながらオレを迎えてくれた直樹のリーゼント頭も、
「おう哲治、やっと来たのかあ」
と大きな体を揺すって人懐っこく笑う唐沢のスポーツ刈りの頭も、今はどこにもない。
頭を抱えてバリケードにぼんやりとしゃがみ込んでいると、遠くからバイクのエンジン音が聞こえてきた。
オレは催眠術にかかったように自転車のペダルを踏み、鶴川街道を山に向かってよろよろと走った。そして息を切らしながら急な山道を自転車で駆け上がり、一番急な下りカーブを抜けたところに広がる高台の畑に自転車を止めた。
そこはバイクがスピードを上げて車体を傾けながら走り抜ける様子が一番カッコよく見えるので、オレ達三人が気に入っているスポットだった。
バイクの音が近づいてくる。
自転車を畑に乗り捨てて、オレは鶴川街道に降り立った。
バウンバウンバウン!
バイクのエンジン音が近くでこだまする。木と木の間からライトの白い光が見え隠れする。
たった1台、猛スピードで走るそのバイクは、急カーブを攻めながら更にスピードを上げたようだった。
突然、目の前がバイクのライトで真っ白になった。
「うわああああ!」
バイクに乗っていた男が叫んでハンドルを切ろうとしたが間に合わず、オレの体はきれいに空中を舞った。
世界がスローモーションで覆われる。
足元にバイクとこっちを見上げているライダーのヘルメット越しの顔が見える。
バイクのタンクには太い青色のペイントが入り、2つのメーターにも同じ色が使われている。
ホンダエルシノアMT125。
シルバー色の躯体がなぜか泣いているように見える。
そしてライダーは……。
「太一さん……」
呟き終わるか終わらないかのタイミングでオレは激しく地面に激突した。
背中を激しく打って呼吸ができない。バイクに当たった左足は火傷のような痛みで刺し抜かれたようだ。
ひどい頭痛が起き、世界がすごいスピードで回転する。
ヘルメットを投げ捨ててオレの元に駆け寄る太一さんを感じながら、オレは真っ暗闇の世界にぐるぐると回りながら吸い込まれていった。
第二部 完