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編集者という仕事を分解してみた(4)


過去3回のおさらい

<1回目>
編集者の仕事で一番大切なことは、作家との信頼関係を作ること。

<2回目>
校正は読者の読みやすさのため、吟味は企画の具現度を高めるため。

<3回目>
「ラフ」が書ける編集者はデザイナーにもなれる時代が来た。

という感じでした。今回は4回目。いよいよ最後の追い込みをするときの編集者の仕事の紹介と、編集者とデザイン思考のかかわりについてです。

最後の追い込みはスパルタ教師のようにwww

入稿日までの最後の1か月は、ナカソネさんと私でとことん追い込むスパルタ教師役に徹しました。完成度を上げたいので、ナカソネさんに解像度が悪い写真を差し替えてもらったり撮り直してもらい、できあがった写真をもとに私が速攻でデザインを組むという苦しい作業を何度も続けました。

その中で友人にゲラを読んでもらい、感想をもらってから5ページくらい大幅変更しました。特に大きかったのは、最初の方に全面で掲載している土砂降りの首里劇場の写真の光がちょっと明るくて、悩んでいる主人公の心情投影になりきっていないというところでした。
修正した方がいいと思っていましたが、それまでに文章も相当直し、写真も修正をあれこれお願いしていたので、さらなる修正をお願いしていいか(雨が降る風景を直すから結構手がかかる)迷っていました。しかもいざ直し出すと、大幅改修が4,5ページにわたります。

友人にゲラを見てもらったのは、入稿締め切りも迫っているのに直すべきかどうかを私の独断だけですすめていいかわからなくなったからです。同じように違和感を感じる人がいるなら、やはりそこは大事なポイントだから修正しようと思ったんです。
そうしたらその友人が私が思っていることをずばりと指摘してくれました。
それで決心が固まり、ナカソネさんに修正方針を出し、この写真だと言いたいことが伝わらないからこの写真とこの写真は作り直してください、とお伝えしました(翌日には上がってきました~。ナカソネさんすごかった。。。)。

このようにモノづくりはガチで言い合える関係性が大事なのですが、人によっては追い詰めてしまうので相手を見て加減します。ナカソネさんの場合は長きにわたる雑談で、この人は大丈夫!と確信したから、私が普段会社でやっていた編集者魂を炸裂させてとことん修正をすることになりました。お互い苦しかったですが、あれで一気に完成度が上がったと思います。
ビバ!スパルタwww

ちなみに、最後で追い込むのは「ゴールが見えてきているから」です。お互いに目線がそろうので、もう少しがんばるとすごくよくなるよ、という合意が取れやすい。だから頑張れるしお尻も叩けるのです。

なお、最初のうちは何を作るかわからないのに、私が強く出ると新しい発想の芽を摘んでしまうので、何も言わずのびのびと作ってもらっていました。つくりたいものの方向性が変わらなければ、最初は褒めて励ますことに徹するほうが、個人的には合理的だと思います。

編集者は「デザイン思考」が得意です(たぶん)。

巷ではやっているらしい「デザイン思考」。通り一遍の知識しかないので間違っていたらごめんなさいですが、編集者が企画を立てて制作をするのと結構近い気がしています。

編集者は企画を立てるとき、悩みを抱えている人に解決できる情報をいかにわかりやすく興味を持って提示できるかを考えています。
その際、情報の流れと場を作ることを強く意識します。具体的に言うと、誌面をどの順番で読んでもらってその人がどんな気持ち・どんな流れでこの1冊を読み終わるのかを考えます。ターゲットとなる読者についてもねちねち調べながら、自分が今回提案したい情報を組み合わせて、読者に必要な場(居心地)とか必要な情報の流れ・粒度を組み立てていきます。

私の場合、月刊誌をつくっていたので、年間企画を最初に立てますが、走っているうちに毎月状況も変わりますし、読者の反応、周りのメンバーの反応を見て、計画していた企画を必要とされる場に合わせて変えることもしょっちゅうでした。結果的には毎月の状況に合わせる形で、月号企画を立て、人・もの・金のパフォーマンスをにらみながら制作していました。

デザインするというのは、「場づくり」だと思う。

ちなみに作っているものが、大きな年間企画でも小さな特集・連載であっても、「読者に伝えたいことを一言に絞った言葉=訴求」を必ずそれぞれに作っておきます。
なぜなら、「どんな読者か」をイメージできても、「何を伝えたいのか」のピントが合っていなければ、狙ったコミュニケーションを取れないからです。そこでアンカーとして訴求をメッセージにして置いておけば、ここの場にはこういう読者ならいたくなるよね、こういう読者にこそ興味を持ってもらいたいよね、という制作側が狙っている「場のイメージ」がぶれにくくなります。
このように訴求が決まってしまえば、迷ったときに帰ってこられる場所ができるので、あとは居心地の良さとか欲しかった情報を思い切って作りこんでいくという作業をするだけです。
本や雑誌、Webメディア、メルマガなどなんでも一緒だと思いますが、究極的なことを言うと、編集作業は「読者と編集者が交流できる場を作っている」だけ、とも言えます。「いてほしい人にいてもらえる居心地の良さ」を目指して、編集者は提供できる場の中の情報の流れ具合と情報の大小・粒度・密度をそれぞれのコーナーで調整して考え続けているのです。
こういうのって、デザイン思考なんじゃないかなー…と思うのですが、いかがでしょう?

『アメガミチルヨ』という言葉に潜むもの。

話が変わりますが、この絵本のタイトルになった「アメガミチルヨ」という言葉は、作家のナカソネさんが出した言葉です。ナカソネさんの中では、表現したいものは最初からぶれていなかったのですが、この言葉が出るまでにものすごく説明臭いことをいっぱい書き、しっくりくる言葉を探し続けられました。
ついに「アメガミチルヨ」という言葉が出たときに、この言葉を中心に物語や世界ができあがってくるといいんだなと感じたそうです。

ナカソネさん曰く、
「生きていくと、辛いことは雨のようにしとしとと降り続け、そんなときに限ってさらに激しい雨が降って辛くなり、追い打ちをかけるように豪雨になって泣きたくなるようなことがある。でもこういうときこそ、ちゃんと自分の内側に入れるチャンスだと思います。
うまくいっているときは調子に乗っているから外側しか見えないでしょ? うまくいかない自分の状況が積み重なったときこそ、一旦自分の内側の境界に入ってやり直す。すると、うまくいっているときより、よく見えてくるものなんです。
ほら、海に入る時って冷たいけど、完全に入ると大丈夫になったり、最初はひやっと冷たいけど、すっぽり中に入るとあったかかったりするでしょ? 雨が降っているときは服もずぶぬれになって辛いけど、雨が満ちてきたときはすっぽりその内側に浸れるから、逆に安心できると思うんです。
それで、雨というモチーフで、雨が満ちてきたときの温かさ、優しさ、そこから命がわーっと広がって響いていく感じが、『アメガミチルヨ』という言葉で表せると思ったんですよね」
ということでした。この一言にどれだけのメッセージがこもっているか、まさにタイトルが訴求になっている好例かと思います。

私がアンカーとして握っていた言葉。

ちなみに、私の中でアンカーとして握っていた言葉は、「真摯で優しい生き方」でした。真剣であればあるほど、優しさがにじみ出るのがナカソネさんの性質で、そこが人形作品からも感じ取れるから、そういうナカソネさん自身が絵本として出てくれば成功だと思っていました。
だからこそ最後の最後で、大切なメッセージが入っている本文を沖縄の言葉にも代えました。ナカソネさんを通して見えてくる、「真剣に生きてますます優しさが溢れる」、そんな私が知らない沖縄の姿をうつし出したい、と思ったからです。

だから、制作の途中で、どれだけ話がぶれようと、元々私が書く予定だった本文をいきなりナカソネさんが書きだしても、天の川の写真撮ってメインで出したい言ったのに撮らなかったとしても、大した問題ではありませんでした。
端から見ると、私が作家さんに妥協しまくって、あちこち振り回されているように見えたかもしれませんが、私の中では全然ぶれていないし、むしろ想定内の動きだったのです。
いやー、編集者ってマゾなのね。我ながら怖い怖いwww

・・・
ということで今回は以上です。
続きはまた次回書きたいと思います。そろそろ次回で最終回かなあ。
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ちなみに今回題材にしている『アメガミチルヨ』はAmazonで購入できます。よかったら手に取ってみてください。

それではまた!


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