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オオゼキに行くには
この春先、電動自転車のうしろのチャイルドシートに雨よけのカバーをつけた。つけたままで開閉できるこのカバー、つけっぱなしでいいので便利である。
しかし問題もある。子どもがいたく気に入って、ちょっと、だいぶ、気に入りすぎて、雨が降っていなくても閉めたがるのだ。閉めたがるというか、閉めていないとあばれるから閉めるしかない。わたしの子どもにはそういうかたくななところがある。どうもカバーに覆われたときの個室感がいいらしい。それはちょっとわかる。
それでよく晴れたうららかな日にもレインカバーで覆われた子どもをうしろに乗せて走ることになるのだが、これがけっこうさびしい。わたしたちを隔てるのは1枚の透明なシートとはいえ、互いの声は届きにくくなる。自転車での移動中、子どもの歌うのをきくのが好きだったのに。小さくつぶやかれる味のあるひとりごとも、いまや何を言っているのかさっぱりわからない。
そんなだからときどき、うしろに子どもを乗せているのか、わたしひとりで移動しているのだか、わからなくなる。ひとりのつもりになってぼーっと走っていて「あっ。まだこの子を園に送り届けていなかった」ということもあるし、子どもがうしろに乗っているつもりで振り返りながら話しかけてシートが空なのにおったまげることもある。だっていてもいなくても静かなんだもん。
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きょうも子どもを園に送ったあと、子どもがうしろにいるんだかいないんだかわからなくなりながら(いないよ)、自転車で街をうろうろ流していた。
ふと、ママチャリに乗ったわたしと同年代の、しかし目の光が格段に強い女の人とすれ違った。そのチャリの前かごには、オオゼキのパンパンに膨れたレジ袋が。
ああ、オオゼキ。人々のあいだで、とりわけ家庭において調理を担う者たちのあいだでその名を轟かせる地域密着スーパー、オオゼキ。わたしも存在は知っている。担当の美容師がオオゼキはやばいと言っていた。オオゼキで一度刺身を買ったところ、子どもたちがほかのスーパーの魚を一切食べなくなってしまったんだという。それはやばい。しかも安いんだって。やばい。
そうか。わたしもついにオオゼキのある街と縁ができたのか。しかしまあ、さっきすれ違った人の目のかがやきを思い出すに、きょうのわたしはオオゼキに乗りこむには生気が足りないように思えた。
すごすごと、降りだしたまばらな雨に打たれて家に帰った。家では冷凍のきしめんをあたためて食べた。
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幼稚園の迎えの時間はすぐにやってきた。雨が強まり、保護者たちは皆あわてて子どもを自転車に乗せるやそれぞれの道へ散った。同じように帰り道を急ぐわたしのうしろで、レインカバーが正規の役目を果たしていた。