窓の外を眺めると、秋の風が木々を揺らしている。最近、手に取った小説がある。三浦しをんさんの『舟を編む』だ。 物語の主人公、馬締光也(まじめみつや)は、出版社の営業部から辞書編集部へと異動する。無口で不器用な彼だが、言葉への情熱と真摯な姿勢で、少しずつ周囲との信頼関係を築いていく。 「言葉は人と人をつなぐ橋だ」 その一節が心に残った。新しい環境で、自分の持ち味を活かしながら、強くアピールすることなく人間関係を築いていく彼の姿は、とてもすてきだった。 はじまりとは、新しい
今日は久しぶりの雨だった。子供の頃、雨が降ると傘なんて差さずに外へ飛び出していた。水たまりを見つけてはジャンプし、ずぶ濡れになっても平気だった。母に叱られるのも気にせず、ただその瞬間を楽しんでいた。 大人になった今、少しの雨でも傘を差し、濡れないように気をつけて歩く自分がいる。あの頃の無邪気さはどこへ行ってしまったのだろう。暑い夏の日には、もう一度あの頃のように雨を楽しんでみたいと思う。 そして、雨の音。子供の頃は雨が降ると退屈で仕方がなかった。外で遊べないし、家の中で時
ある日、思い切ってSNSをやめてみた。FacebookやXのアカウントを削除するなんて、自分でも大胆だと思う。最初は少し手持ち無沙汰で、不安もあった。まるで日常の一部を切り離したような感覚だ。 でも、その代わりに得たものがあった。朝、コーヒーを淹れながら窓の外を見ると、秋の風が木々を揺らしている。小さな鳥が枝から枝へと飛び移る姿に、ふと目を奪われた。こんな風景をいつから見過ごしていたのだろう。 Lucky Kilimanjaroの"フロリアス"に「人生の魔法を教えよう、ツ
こえとは、心から湧き出る祈りや願いを伝えるもの。夜の静けさの中で手を合わせて、自分や大切な人の幸せをそっと願うとき、その声は見えない力となって届くと信じています。 今日は酉の市に行ってきました。神社はたくさんの人で賑わっていて、みんなが商売繁盛や家内安全を祈っていました。その中でもひときわ目を引くのが、色鮮やかに飾られた「くまで」です。 くまでは、福をかき集める縁起物として親しまれています。キラキラとした飾りや縁起の良い小物がたくさんついていて、見ているだけで心が弾みます
みみとは、相手の声や想いを受け止めるための大切なもの。同僚から「話を聞いてほしい」と相談を受けることが増えました。最初は自分に何ができるかなと思ったけれど、ただ耳を傾けることで、少しでも力になれるのかもしれないと感じています。 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉がありますよね。自分の意見を伝えることも大事だけど、まずは相手の話をしっかり聞くことが大切なんだと改めて思います。 そして、かがみとは、自分自身を映し出すもの。ある日、ふと窓に映る自分の姿を見てハッとし
つむぎとは、糸を紡いで布を作ること。その一本一本の糸が集まり、美しい模様や温もりを持つ作品となります。これは、創作の営みそのものを象徴していると言えるでしょう。 ある物語では、人生の後半に新たな挑戦を始めた女性がいます。彼女は映画制作という未知の世界で、自分の想いや経験を映像としてつむぎ出していきます。その姿は、年齢や境遇に関係なく、創作への情熱が人を輝かせることを教えてくれます。彼女が紡ぎ出す映像は、自分自身との対話であり、新たな世界への扉を開く鍵でもあるように思います。
そぎとは、余分なものを削ぎ落とすこと。無駄をなくし、本質を見極めるための大切な行為です。 最近、自分の生活を見直す機会がありました。部屋を見渡すと、使わない物や同じ色のシャツ、たくさんの靴下、ハンカチなど、長い間使っていないもので溢れていることに気づきました。思い切ってそれらを整理し、断つことに決めました。クローゼットの中の着なくなった服や、棚に積まれた読み終わった本たち。思い出になるものは残して、長い間使っていないものを捨てることにしました。 すると、不思議なことに心が
くれないとは、深い紅色を表す言葉です。その鮮やかな色彩は、秋の紅葉や夕焼けの空を思い起こさせます。古くから日本の美意識に深く根付いており、人々の心を惹きつけてやみません。 うつろいとは、物事が移り変わっていく様子を意味します。季節のうつろい、人の心のうつろい、時間の流れとともに変化していくすべてのものを指します。目の前の景色が刻一刻と変わっていくように、私たちの生活もまた日々変化しています。 「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」 私の大好き
チェロの弦に指を滑らせると、心の奥底から湧き上がる感情があります。音楽には五音(ごおん)と呼ばれる基本的な音階があります。これはド・レ・ミ・ソ・ラの五つの音からなるペンタトニック・スケールで、世界中の多くの音楽に使われています。そのシンプルさの中に、無限の可能性が秘められているのです。 一方、五情(ごじょう)とは、喜(よろこび)、怒(いかり)、哀(かなしみ)、楽(たのしみ)、愛(いとおしみ)の五つの感情を指します。チェロはその豊かな音色で、この五情を余すことなく表現できるそ
年齢を重ねると、世界の見え方が少しずつ変わってくるものですね。若い頃には気づかなかった小さな美しさや、人々の温かさに心が動かされる瞬間が増えました。 先日、ふと立ち寄った書店で一冊の古典に目が留まりました。紫式部の『源氏物語』です。昔は難しそうだと敬遠していたのですが、手に取って読み始めると、その情景描写や人間模様に引き込まれていきました。歳を重ねた今だからこそ感じられる深みがあるのだと実感しました。 また、こんな和歌があります。 「年経れば またこのごろや しのばれむ
たゆたえ――それは、水面や風にゆらめく様子を表す言葉。その穏やかな揺らぎは、心に静かな安らぎをもたらしてくれます。 今日は日曜日。久しぶりにゆっくりと過ごせる休日です。澄んだ秋空に誘われて、近くの公園まで散歩に出かけました。木々の葉は赤や黄金色に染まり、その美しさに思わず足を止めます。風に揺れる葉がカサカサと音を立て、そのたゆたう様子に心が和みます。 池のほとりでは、落ち葉が水面に浮かび、ゆらゆらと漂っています。その光景を眺めていると、忙しかった日々の疲れが少しずつ癒され
いざよい――それは満月の翌日、少しだけ欠け始めた十六夜(いざよい)の月を指します。その控えめな輝きは、満ち足りたものが新たな形へと移り変わる瞬間を映し出しているようです。 夜の散歩中にふと空を見上げると、いざよいの月が静かに輝いていました。満月の華やかさとはまた違う、その穏やかな光に心が引き寄せられました。まるで、自分自身の中で少しずつ変化していく何かをそっと照らしてくれているような気がしたのです。 こぞめ――木々が初めて色づき始める季節を意味します。夏の深い緑が徐々に赤
歩き出したあとは、ほんの少し立ち止まり、まわりの景色に耳を澄ませることもいいものだ。秋風が木々の葉を揺らし、どこからか金木犀の香りが漂う。せかせかと進むばかりが道のりではなく、ふと足を止めるその瞬間に、思わぬ発見がある。 たとえば道端の草花も、気づけば秋の色に染まり、小さな実をつけている。こんなふうに、何気ない風景に秋がそっと息づいている。足元からしんとした空気が感じられ、夕暮れには空が少しずつ赤く染まっていく。 まるで、ゆっくりと季節が移り変わるように、私もまた、静かに
最初の一歩というのは、気負うことなく、ゆるやかで、肩の力を抜いて踏み出せるものであってもいいのかもしれない。人はどうしても「正しい一歩」や「確かな方向」を探したくなるけれど、ふと足を進めることもまた、ひとつの始まりの形だと思う。 子供のころは思いつくままに走り出していた。それが正しいかどうかなんて考えず、ただ「楽しそう」とか「気になる」とか、そんな気持ちだけを頼りに一歩を踏み出していた。その軽やかさは、大人になるにつれて少しずつ失われ、「ちゃんとした理由」や「準備」が必要だ