【ひと夏の妹】#39/46 ふたりのおもいで
静かな夜だった。他の住人の気配もない。
静かすぎて、リンの心音や息遣いがはっきりと聞こえる。そして、世界に俺たち二人きりであるような安らいだ孤独を感じる。
肌寒さに人肌の温もりが心地いい。
同じ体勢を続けるのがキツくて、でも離れようなんて気にはまったくならなくて、俺たちは少しずつ身体を動かしたり、手足をずらしたりした。
いつのまにか、ソファに横たわる俺に上からリンが重なるようになっていた。
抱き合って。心音がひとつに。
リンが大きなため息をついた。
「これからどうなるの、わたしたち」大人びた口調で。「やっぱり、恋人どうしには……なれないの……?」
茶番だ。
今から始めようとしている茶番と、そこでの自分の三文芝居を想像すると、恥ずかしくて目まいがしそうだった。
それでも、今はそれが必要なんだと自分に言い聞かせる。
何を言っても芝居くさくなるのなら、いっそ開き直れ。
「なあ。リン」と俺はリンの小さな肩を撫でた。「……三年待ってくれないか」
「さんねん?」
「ああ。三年経てばリンももう少し大人になる。そしたら、その……まわりに何も言われずに、付き合えるようになる」
言いながらも俺は、三年という隔たりを越えてなお、俺たちの関係が保たれるなんて、これっぽっちも楽観はしなかった。
リンは俺の言ったことを少し考えていた。
そして探るように、
「三年後まで会えないとかじゃないよね?」
身体を少し起こしてしっかりと俺を見る。髪が顔に垂れてこそばゆい。
「………………」俺は、黙ってリンの髪を耳元にかきあげた。
「ちゃんとカノジョにしてもらえるのが三年後ってこと?」
「まあ。そうだな」虚ろな気持ちで答える。
「……わかった」とリンはしっかりとした口調で頷いた。「三年待つ」
そして、ぽふっとまた頭を俺に乗せた。
リンは三年という時間を簡単に考えている。それをたいした時間と思っていない。
でも俺は違う。十代の三年がどんなものかをよく知っている。女の子にとっての三年の重みを、わかっている。これだ。これこそが、俺たちを隔てる世代の壁だ。
三年の間に、リンの中で、俺とのことも、俺への気持ちも、いつしか薄れて、忘れて、消えていくだろう。
シノのように淡い記憶として残ってはいても、それはただの残照だ。
これだけ美しく聡明な少女がまわりの男に放っておかれるはずもなく、そのうちにリンは、俺よりもずっと魅力ある別の誰かに、新しい恋をするだろう。
心のどこかに、三年経って、リンが十七歳になったときのことを夢想してしまう自分が居た。
美しい無敵の女に成長した十七歳のリン。
きっとパッとしない二十四歳になっている俺。どう考えても釣り合わない。
リンが俺に好意を持つのは、まだ十四の子供で、俺との間に七つもの年の差があるからだという強迫観念めいたものがあった。
俺達が絶対に結ばれない年の差が、皮肉にも、俺とリンを結び付けてくれている。
もしそれだけの年の差がなければ、リンは俺に惹かれたりはしなかった。同じ年だったら、相手にもされなかった。
……どうしてもそう考えてしまう、どうしようもない『自信のなさ』
それが、たぶん、リンを妹と思い込もうとした本当の理由。俺の、心の弱さだ。その答えにようやく行き着いた。
だから、自分が三文芝居の大根役者だと自覚してはいても、必要のない台詞を口に出さずにはいられなかった。それもまた、俺の弱さだ。
どうせカッコつけるなら、最後までカッコつけ通せばいいのに。
「……三年もしたら、お前も大人になって、俺のことを好きって気持ちも消えてるかもよ?」
ひひひと笑う。茶化した口調でカモフラージュした、本気の言葉。
「タキくん」
凛とした顔でリンは俺を見た。あの夕日の展望台で見たのと同じ表情。リン。いい名前だ。本当にお前にぴったりだ。お前は絶対いい女になる。
「わたしを甘く見ないで」
「自信満々だな」
「わたしの気持ちは軽くないもん」
「ほお。大きく出たな」
「わたしはシノさんとは違うよ」
「…………どうかな」
「じゃあ賭ける?」
「望むところだ」
ようやく。ここにきて、やっと。俺たちは、あの、ふたりで過ごした夏のような雰囲気に戻ることが出来た。でも、それはあまりに切ない。
「絶対、わたしは変わらないよ」
「だったらいいけどな。もしお前が賭けに勝ったら」
「勝ったら?」
「お前をカノジョにしてやろう」
なんで俺はこんなことをエラそうに言ってるんだろうな。
「おう。カノジョになってやるぜ」
リンは冗談っぽく言って、唇の端をにやりと上げた。
「そしたら、今日の続きをする。絶対にする。今度はガマンしない。もう、めちゃくちゃにしてやる。覚悟しとけ」
「うわっ、引くわー」とリンは笑った。たぶん、ありもしない二人の未来に向けて。
俺も笑った。今日を境に遠ざかり始める二人の思い出に向けて。