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【ひと夏の妹】☆4 物語は続いていく(完)

「……俺の負けだよ。リン。完敗だ。約束通り、なんでも言うこと聞いてやるからな」
 心からの気持ちをこめて、俺は言った。
「………………」
「俺にできることならどんなことだって」
「……ううん」リンは、ぎゅっとしがみついて、静かに俺の言葉を遮った。「……いっこだけでいいよ」
 ずっとそばにいて。
 そんないじらしい言葉に、胸が張り裂けそうになった。頭がクラクラする。夢か、これは。確かめるようにリンの頭を撫でる。サラサラの髪の毛をすく。ピンク色に上気した頬に触れる。いい匂いのするマフラーに自分の顔を埋める。夢でもない。幻影でもない。リンは、はっきりとそこに居る。肉付きは違うけど、肩とか背中とかに、遠い日のリンの面影を感じて嬉しくなる。
「リン。聞いてくれ」
 なに、と呟こうとして声にならず、かすれた息が漏れただけなのが、たまらなく愛しい。
「あのとき言えなかった言葉があるんだ」
 すーーっとリンが静かに息を吸って、そして吐いた。
 コクン、と小さな頭が動くのを肩の上に感じる。

 愛してる。
 おまえが好きだ。
 二度と離さない。
 ずっと一緒に居てくれ。
 想いがあふれ、言葉にできない。
 俺はぱくぱくとコイみたいに口を開く。

「……なあに?」俺の肩に頭を置いたリンが、静かに耳元でささやく。色気を帯びた甘い声。「……ちゃんと、聞かせて?」

 お前が居れば他には何もいらない。
 ただ、そばで笑っていてくれれば、それだけでいい。
 聞いて欲しい話がたくさんあるんだ。
 お前に聞きたいことだって山ほどある。
 お前が実の妹とかじゃなくて本っ当によかった。
 お母さんに、今度こそ自信もって言ってやるからな。リンは俺がもらうって。
 ダメだ。喉がつまって言葉が出てこない。
 なんのために、俺は今日まで頑張ってきたんだ。
 矜持よ、我に力を。

「俺は……」
 とつぜんリンが俺から大きく身体を離した。
 飛び出すんじゃないかというくらい大きく目を見開いて。
 期待に満ちた顔で。
 俺を見る。黒目が涙の膜でキラキラ輝いている。美しく整った大人びた顔で、こんな子供みたいな表情されると、ギャップが凄まじい。
「俺は……」
 うん。うんっ。うん!
 リンが大きくうなずきながら、幼い動作でどんどん顔を近づけて来る。
「俺は……おれは……おまえが……」
 バカみたいに繰り返す。
 い、い、言えねーーーーー。
 なぜだ。どうして、こう、いつも肝心なところで、歯が浮くセリフが得意なはずのタキくんはこうなんだ。
 カッコつけて、バス降りて、走ってきて、なのにこのザマか。
 リンも絶対そう思ってるはず……。
 ……あ、ホラ。ジトっとした半目で俺を見ているし。
 今や、完全に呆れて、怒ってる顔。
 リンは、はーっと深いため息をついた。
「しょうがないなー」 
 リンは、軽やかな動作で、首のマフラーをくるりと外す。
 その両端をつかんだまま、ふわりと俺の首にかけた。
 ぐいっとマフラーがひっぱられ、
 俺の顔はリンのほうへ強引に引き寄せられる。
 吐息がかかる距離。
 じっと見つめられる。
 魅入られたように見つめる。
 見つめ合う。
 夏の入道雲のように、汚れのないまっしろな笑顔で。
 リンは微笑む。
「好きだよ。ずっと。あなただけを。どんなときも。変わらずに好きでした」
 俺がどうしても言えなかった言葉をいとも簡単に。
 女の強さ、ひたむきさに比べて、男のプライドとか意地の、なんとガキくさく、薄っぺらなことか。
 けっきょく、肝心な時に、俺たち男は、絶対に女には勝てない。
 そして――たぶんずっと試され続ける。
 だけど、「コイツには勝てない」と思える女に愛されるほど、幸せなことってきっとない。
 だから俺は、リンが恋し続けた『タキ』に負けない俺にならなくちゃいけないんだ。一生かけて。
 夜空から雪が舞い降りる。
 リンの小さな顔に両手で触れる。
 耳元が冷たい。マフラーで繋がった俺たちの顔と顔の間で、吐かれる息が白いかたまりになって、ひとつに混ざる。
 ふたりの顔が近づく。
 綺麗な桜色の唇。
 吸い込まれそうな瞳。
 リンの大きな瞳は少しずつ開かれていく。
 唇が触れる瞬間。それが一気にぎゅっと閉じられた。
 待っていたかのように、リンの手が俺の腕をつかむ。
 夢でも見ている気分で、俺はそっと、あの時はしなかった大人のキスを。
 脳が痺れる。粉雪が舞う。
 舌が艶やかな歯に触れ、柔らかいかたまりに触れ、つるりとした感触に触れ、甘みに触れる。
 リンの手に、ますます力が入る。爪が腕に食い込む。視界が白に染まる。
 時間が逆流する。
 俺たちの記憶が高速回転する。
 世界が反転する。
 歯車がかみ合う。
 割れた固い石がようやくひとつになる。
 いや、言葉なんて、もういい。
 死ぬほど幸せってことだ。
 
 ◆

 あの夜、リンとの物語が終わった、俺が終わらせた、
 ……そんなふうに決めつけた。
 でも物語ってのは、俺ひとりが、勝手に始めたり終わらせたりするものじゃない。
 この地上に、俺が生きて、リンが生きて、シノが生きて、アリカが生きて、カスヤや、いろいろなひとが生きて、関わって、繋がって、そして紡がれていくのが『物語』だ。
 だから、昨日も、今日も、明日も、これからも。
 俺たちは、何かを求め、誰かを愛し、必死になって、空回りして、壁にぶつかって、裏切られて、怒って、哀しんで、許せなくて、全然上手くいかなくて、憎んで、失って、それでも、心にある大切なものを捨てられず、諦めきれず、嫌いになれず、夢を見て、願って、信じて、憧れて、出会って、そうして、時を重ねて。生きていく。
 自分だけの物語を創っていく。
 語っていく。
 続けていく。

 俺たちが生きる、この場所で。



 おわり





もうひとつの物語  【青イナツ風】

初出:2017年3月19日 133,475文字
カクヨム ★51


かつて作家志望だった「俺」は、その夢に挫折し、小説嫌いの私立探偵になっていた。
そんな俺の元に、友人の弁護士が、一冊の小説を持ってくる。
本の作者は、レラ。
俺が大学生だったころ、不思議な町で出会い、恋をした高校生の女の子。
レラが書いた物語を開いたとき、俺の脳裏に、あの懐かしい夏が蘇る……


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