【ひと夏の妹】#40/46 妹じゃなかった
距離から考えて、もうそろそろ到着するころ合いだ。
リンの母親を出迎えるため、俺は身支度をした。
不安そうに俺を見るリンを安心させるよう、微笑みかける。
「ここで待ってろな」
うん。待ってる。とリンは素直にうなずいた。
半分くらいの月が出ていた。秋の夜気は冴えていて冷たい。
裏の雑木林に風が吹くたびに、黒いシルエットの樹々がざわざわ揺れた。
澄んだ虫の声に包まれていると、気持ちが落ち着いてくる。
俺は、アパートの前の砂利の駐車場を歩いて、五十メートルほど離れた自販に行き、ホットコーヒーを買ってきた。
そしてそれを飲みながら、バイクに腰掛けリンの母親を待った。
やがて、暗い静かな道路を、迷うような動きのヘッドライトが近付いてきた。シノと歩いた夜道で通りかかった、見覚えのある古い白の軽自動車。
俺は道路に出た。
暗くてまったく見えない車内に向けて一礼し、アパートの敷地内へ誘導した。
停止した車から出てきたのは、背の高い、細身の女だった。
運転席から降りて近づいてくる母親に、俺は深々と頭を下げた。
初めて見るリンの母親。
凄まじい美人を想像していたが、充分に美人には違いないものの、リンに備わっているような特別なものは感じなかった。
どちらかと言えば、整ってはいるけれど、キツい顔という印象を強く受けた。
濃い色のジーンズと白い厚手の長袖シャツ。リンよりも少し短い髪を後ろでまとめている。化粧もきちんとしていた。
「お騒がせしてすいません」
「娘は?」
電話で聞いたよりも若干低い声。服からはタバコの匂いがした。
「僕の部屋に居ます」
母親は鼻から息を出した。俺を見る顔は当然のことながら厳しい。
「すいません。少しだけお話できますか」
「私もあなたに話があるわ」
俺たちはアパートを離れ、青白い光を放っている自販のほうに歩いた。
自販の前で、母親はタバコを取り出して火を点けた。そして半分ほど吸ってから、携帯灰皿にタバコをねじ込んだ。
その間、俺たちは何も喋らなかった。
「あなた、いくつ?」
母親は、少し棘のある口調で切り出した。
「二十一です」
「ふん」値踏みするように俺の顔を見る。「……中学生と付き合わないといけないようにも、見えないけど?」
俺は何も答えなかった。
「それで、なにがどうなってるの?」
俺は、改めて、ことの経緯を説明した。
夏祭りで中学生と知らず声をかけたこと。鼻緒ずれしたリンを送ったこと。モールで再会し、仲良くなったこと。
それからはいつも会っていた、と話したら、
「それであの子毎日のように出かけていたのね」と母親は呆れたようにつぶやいた。
兄妹のようなつもりで接していた俺。
そうじゃなかったリン。
そして、リンの好意から逃げるような真似をしたせいで、思いつめてバイクで家を探し当てたという話。
俺は、まるで、自分の責任逃れの為にリンを悪者にしているような気がして、酷い自己嫌悪を感じた。
事情を最後まで聞いた母親は、締めくくりのような深いため息をついた。
「あの子ね」と思い出すように母親は語り始めた。「夏のはじめからずっと変だったのよ。毎日のように出かける。誰かと会ってそう。しかもすごく楽しそうでね。どう見ても、彼氏でもできたように見えた。でも、事情を聞いても全然話してくれない」
俺は黙って続きを聞く。
「それに、なんていうか、妙に背伸びしようとしてるのが伝わってきたのね。これはきっと年上の男だろうってピンときた。あの子、可愛いでしょ? 年齢不相応に」さすがにちょっと苦笑気味に言った。
俺は真剣にうなずいた。
「だから、余計に心配だったのよ。年上のへんな男にでも引っかかったんじゃないかって」
年上のへんな男、の部分で俺をちらりと見た。
俺は黙ってその視線を受けた。
「あの子、何度か、泣きながら帰ってきた」硬い声で静かに母親が言った。「あなたのせいね」
「……はい」俺のせいだ。
「ねえ」と母親は俺をしっかりと正面から見据えた。「あなた、なにがしたかったの? リンと普通に付き合ったりとかじゃないんでしょ? 兄妹ごっこ?」
「……僕には友達も恋人も居ません。ひとりぼっちで。寂しくて。リンさんにそばに居て欲しくて。だから、妹みたいに扱ってしまいました」
母親は身じろぎした。強い苛立ちがはっきりと伝わってきた。
「そんなことに、うちの娘を使わないでもらえる?」
母親は冷たく言い放つ。
「リンは、あなたの妹じゃない」
思えば、アリカも、母親も、そしてリン自身も、俺以外のみんなが俺に同じことを言う。
リンは、妹じゃない。