【ひと夏の妹】☆2 決意。
目を開くと、バスの車窓に映った俺が、俺自身を、呆れ果てた顔で見ていた。
『なんでいつもそうやってカッコつける?
なんでいつもそうやって女から逃げる?
シノもそう。アリカもそう。
……そんなに女が怖いのか?』
自嘲の笑い。
『あの時、言えなかったことばって、それじゃないだろ』
真剣な声。
『思い出してみろ。
思い出せ。
あの夏を。
あの夜を。
「半端な自己満足はもう嫌だ」なんて半端な自己満足で、最後の最後までリンを傷つけたっけなこのアホめ』
真摯な瞳で俺は俺に説教する。
リンと一緒に居た時の、ことさらエラそうだった俺。
そうだった。俺はいつもこんな顔してた。俺はそんな自分が好きだったのだ。たぶん、リンも。
だけど、今の俺はどうだ。どんな顔で生きている?
『お前の大好きな矜持。
後生大事なそのキョウジ。
バカのひとつ覚えのそのきょうじ。
だいたい、矜持ってなんなんだ?』
本当はもうわかっている。
それは、弱い心を守ろうとする殻。
他人から傷つけられるのを恐れる臆病者の鎧だ。
あの最後の夜、俺はリンとひとつにならなかったことを激しく後悔した。
もし俺がリンを抱いていたら。自分のものにしていたら。
眠れない孤独な夜、何度狂おしく身もだえしたかわからない。
カッコつけて、強がって、ビビッて、善良な人間ぶって。
結局、ただ、傷つきたくなかっただけだった。
空を知らない無垢な鳥が、自分の翼がいかに高く遠く飛べるかに気づき、手の中から飛び去ることを恐れたのだ。
そんな自分を認めたくなかった。
だからこそ、うわ言のように呟いた。
矜持。きょうじ。キョウジ……。
だいたい俺は本当に成長してるのか?
少しは強くなれたのか?
あの日の別れに意味はあったのか?
リンと離れていた年月に価値はあったのか?
そもそも、ひとはひとりで強くなれるのか。
傷つくことなく。リアルな痛みも知らないまま。
後生大事に左手に巻き付けたままの未練がましいミサンガ。
千切れかけては女々しく直した、勇気と自信のヘマタイト。
バスの車窓を、夜の街が、遠い光が流れていく。
少しずつ、確実にリンから離れていく。
また、あの時と同じように。
「すいません。止まってください」
ミサンガを引きちぎりながらつぶやいた。
人の壁を押しのけ、前へ出る。
「止まれません。次のバス停までお待ちください」
運転手が告げる。
何事かと大勢の乗客の視線が俺を向く。
「止まってくれ」
俺は食い下がる。
羞恥心とか、良識とか、マナーとか、ルールとか、そういうのはもうどうでもよかった。
早く。少しでも早く。それだけが頭にあった。
「だから、止まれないんです」
バスの運転手の苛立った声。
周囲から嘲笑。
「止まれよっ!!」
叫ぶ。
目の前のテーブルを薙ぎ払うように。
リモコンが飛ぼうが、グラスが割れようが、本が転がろうが、そんなことはどうでもいい。むき出しの心で。本気の気持ちで。ただ、俺が望むことを。衝動を。やっと俺は叫んだ。もっと早く叫ぶべきだったんだ。
「人生がかかってんだよッッ!!」
バスを飛び降り、冷たい空気の満ちる夜の街を走る。
駆ける。
アスファルトを蹴る。
雑踏の中を疾走する。
リンの気持ちがあの時のままだなんて、楽観的だ。
あれほど美しく成長したリンが、いまだに俺のことを想ってるだなんて都合がよすぎる。現実的じゃない。男の勝手な妄想だ。もう、誰かのものになっていても不思議じゃない。恋人くらい居るだろう。ひょっとしたら結婚してるかも。
とっくの昔にリンの心には大切な誰かが居る。
……かもしれない。
それでも……
自分の気持ちを伝えることには、なんの関係もない。
ただ、俺がブザマにフラれて、爆死するだけのこと。
上等だ。
やってくれ。
俺が、初めて、むき出しにした本心を見せるのは、
初めて、カッコつけず、みっともない必死さで、気持ちを叫び、そしてこっぴどくフラれる相手は、
鎧を脱いだ生身の心に、一生消えない傷と痛みを刻むのは……
リン以外にはありえねえだろ!
本気で叫び、本当に傷つくからこそ、ひとは成長する。強くなれる。
そんな簡単なことに気づくのに、時間をかけ過ぎた。
傷つく必要がある。
今度こそ、逃げずに。
リンだけを。リンの姿だけを求めて。俺は走った。
今は、ただ、リンに逢いたい。伝えたい。叫びたい。
あのとき言えなかった本当のことばを。