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修学旅行の思い出

会社の先輩や同僚の数名と話した時の事だ。
先輩の息子は中学3年生で、この間京都と奈良へ修学旅行に行ってきたらしい。
因みに、群馬県の中学3年生では殆どの学校で京都と奈良の修学旅行になる。
お土産の話、この場所はいいですよね等思い出話で盛り上がった。私も会話には参加していたが、内心よく分からず話を合わせていた。

なぜかと言うと、私自身中学3年生の時、修学旅行に行かなかったからだ。

修学旅行当日に風邪をひいた訳ではないし、怪我をして入院してたという訳でもない。
親族の不幸があった。これも違う。
ただ、自分自身で修学旅行には行かないという選択をしたからだ。

この話題になったときなぜそのような選択をしたのかとよく聞かれる。
グレていた訳では無い。むしろ中学校卒業後暴走族をやっていたような人は全員行っていたと思う。
イジメを受けていた訳でもない。私が鈍感だったからかもしれないがそのような経験は無い。
ただ単に当時の私は修学旅行という行事に魅力を感じなかったからだ。
班別で観光、お小遣いは制限がある、先生の目がある為自由な行動が出来ない等…
相当頭のひねくれたガキだなと思う。実際そうに違いない。
このような事があるので先に書いた通り話しを合わせるようになった。

このように「行かない」選択肢をとった私はどうしたのかと言うとまずは母親に伝えた。
「俺、修学旅行かないから」
と言った。
そうすると母親は
「そう、じゃあ先生に伝えておくね」
とだけ。
当時は何も感じなかったが今思い返すと相当物わかりの良い母親だなと感じる。
普通は心配になると思うが、一度決めたら曲げない性格+反抗期というので察したのだろう。
翌日、放課後に担任と学年主任に呼び出された。理由はもちろんなぜ修学旅行に行かないのかについてだ。
小一時間ぐらい事情聴取をされ最終的にはイジメが原因ではないし、めんどくさいからというのを納得してもらった気がする。

こうして私が修学旅行に行かないのは確定したのだ。
お金の話は気になったが、親が騒いでなかったし恐らく返金されたのだろう。

修学旅行当日はどうしたのかと言うと、一応授業の一環なので登校した。
初日は会議室のようなところで他学年の先生(中1の時の担任)からプリント数枚を渡されやるようにと言われた。
1時間程で終わったのでその後は図書室で借りた本を読んで時間を潰していた。
本を読み始めて30分ぐらいしたら様子を見に来た先生からもしよかったら帰ってもいいよと。
2日目、3日目も本来登校予定だったが、何故か登校しなくてもいい事になった。
恐らく私1人のために先生をつけるぐらいなら登校した体にした方が楽だったからだと思う。
私自身もその方が良かったし賢明な判断だろう。
その為2日目、3日目は自由な時間になった。
このあたりの記憶が定かではないが多分、寝る、アニメ、ゲームで終わったはずだ。
どこか旅行に行った気がするのだから恐らく気のせいだろう。
そうして僕の修学旅行(というより連休)は終わりを告げた。
今になって振り返ると修学旅行に行った連中と比べクソみたいな生活だったな。
ほぼニートだ。


因みに修学旅行後、担任から個人的に生八ツ橋をおみやげで貰ったのは嬉しかった。
他の人には言うなよと言われたが12年以上たったしもう時効だろう。
中学時代の卒業アルバムが無い今、名前が思い出せないが当時の担任へ。

 生八ツ橋おいしかったです。
 なんなら、木刀も欲しかったよ。


P.S. 美術の授業で修学旅行のポスターだかを描くのがあったが、行ってないので描けませんと言い白紙で提出したらその学期の美術の成績が人生初の「1」になりました。


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