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喧嘩

火消し若衆

火事と喧嘩は江戸の華と申します。それほど日常的だったという事です。
が、この私、火事と喧嘩は好きではありません。
むしろこの熱を消したい側です。つまり、消防と警察ですね。
男の世界のように感じていましたが今は女性隊員も存在します。
が、気持ちに男と女の別はありません。
腕力だって鍛えればそこそこの力は身につくでしょう。
と、申せど異性の男からすれば不思議な生き物に見えるらしい。
男と女の定義には様々ありますが、私がそうと感じる定義は、


《男》という語は、私の知る限りどの言語でも、
性的能力と闘争能力を暗に意味している。
ラテン語では勇気を意味する wirtus という語は、男を意味する vir から派生している。
キプリングの小説『キム』を紐解いてみても、似たような箇所にぶつかる。
作中でアフガニスタン人が「俺は十五の時に、一人の男を殺し、一人の男をもうけた」と語るくだりがある。
二つの行為が本質的に同一のものであるかのように。
➖ボルヘス『ブエノスアイレスの熱狂』➖


男は苦労のあげくに結論に達するが、女は共鳴だけでそこに達する。
➖エマーソン『日記』➖


男が結婚相手を自分より下位にある人を望むのはこういうことがあるからだろう。が、時が経てば女は成長します。やがて男を飽きる可能性もある。むしろ、
「高嶺の花」を望む方がうまくいく場合もある。
最初は頭が上がらぬだろうが女はそこに共鳴し、男と同じになる。
どうせ苦労するなら成長の苦労を厭わない事が大切だと思う。
これは女にも言えることだ。
➖野草庵➖

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