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内敵と外敵

内敵は自分自身であり、外敵は他者である

内敵と外敵はどちらが脅威だろうか、どちらも同じくらい脅威であると思う。
内敵も外敵も心を蝕むからだ。
また、身体を傷つけたらそれは同時に心をも傷つけるからです。
まあ、傷の大小にもよりますが小心だとちょっとした傷にも慄くものです。
なぜなら、日々を穏やかに過ごしたいという気持ちが強いからです。
その反面、人は倦まず弛まず前進を余儀なくされます。
それは成長です。そして、成長に危険はつきものです。
なぜなら、「一寸先は闇」だからです。
一寸ですからその距離は短く、時間もかからず結果はすぐに出ます。
だから、ほとんどの行為では何事も起こらず通り過ぎるものです。
ですので「一寸先は闇」なのだとは誰も考えてはいないのです。
しかし、常に危険の中で生きている場合は違います。
慎重に慎重に行動するものです。
で、考えてみたのですが、安全は神話の世界ではないのかということをです。
また、内敵を家庭、外敵を社会と考えてみた場合、安全は神話という気がします。
よく家庭を安らぎの場とする人は多いものです。
が、どのくらいの人が安らぎの家庭を得ているのだろうかと。
「おしどり夫婦」とよく言いますが、
この「おしどり夫婦」どれくらいいらっしゃるでしょうね。
でも、「おしどり夫婦」でいたいという願望は強いものです。
昔、「おれは男だ!」というテレビドラマがありました。
ちょうどウーマンリブという言葉が流行り出したときです。
当然、男と女は敵同士になります。それは今も変わりません。
「おしどり夫婦」は願うのに多勢だと様相が変わってしまうのはなぜでしょう?
他の人間以外の生き物にはそれは感じられませんが、
1匹のメスやオスを得る努力は人間以上にあることを見せつけられます。
ここが人間と他の生き物が大きく違うところだと思います。
なぜか、人間は文明を開く力があるからでしょう。
そして、武力か平和かを常に意識しながら、未だ解決に至らない。
それは、人間に支配欲があるからでしょう。
誰にも負けたくない、という気持ちです。
これがある限り、人間に平和は訪れないでしょう。
妥協、譲歩、敵対関係にあるとこれは難しいです。
➖野草庵➖

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