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両親と私

父母は私の師であり友でありライバルである

私の父は明治45年大正元年という二つの年代の誕生年をもつ人でした。
母も大正15年昭和元年という二つの年代を誕生年をもった人でした。
また、父の出身地は熊本県で、母は福岡県でした。
この二人は見合い恋愛で結婚しました。どこでどういうふうに出会ったのか
住まいは佐賀県でした。
私はこの二人の馴れ初めが不思議でなりませんでした。
二人が生きてきたのは戦時中であり、その時は父はすでに15歳、
母は生まれたばかりです。おそらく運命に流され生きてきたのだと思います。
戦争は運命を翻弄するのでしょう。
戦争真っ只中で生きてきた人は強い人だと思います。
子どもの頃はこの母の強さを知ることはできませんでしたが、
女としての純情を見せてくれた人でもありました。
しかしながら、戦後生まれの私にはこの母の生き方を理解できるはずもありません。が、嫌いではありませんでした。母も同じ思いだったでしょう。
おそらく私という人間を理解できていなかったと思います。
でも、母は言いました「私の子どもだからね」。
母とは全くの真逆で生きる私を理解できなくても自分の子供だからと受け止めていたのでしょう。その寛大さに私は救われていたようです。
今の私が存在するのもこの母だったからだと思います。
そして、この出生地が異なる二人が出会い、どうして佐賀県に居住したのか?
その理由がわかりました。
その理由とは

阿蘇惟直の墓碑

阿蘇惟直(あそこれなお)は鎌倉末期から南北朝にかけての武将です。
鎌倉幕府討幕のために働きますが捕捉され自害します。
この時の戦場が筑後(現・福岡県)でした。阿蘇は肥後の国であり現・熊本県です。
どうやら父と母の因縁は戦さであり、阿蘇惟直の墓碑も佐賀県の天山にあります。熊本県と福岡県、そして佐賀県。父と母はこの時代の因縁を受け継いだようです。しかし、私はこの二人の因縁を受け継いではおりません。
私は私で別の因縁を受け継いでいるようです。
因縁は血縁ではないようです。残念ながら私の因縁はまだ発見できていません。
ただ朧げではありますが神社⛩️に関わっているようです。
それというのも阿蘇惟直の先祖は宮司でした。
日本には神社が溢れています。私が居住するこの地にも地元の神社があります。
日本人は神社⛩️と深い繋がりがあります。
神社⛩️には古い歴史があります。神社⛩️の歴史を知ることは日本を知ることでもあります。
さて、その行末は?・・・・・・・・・・・
➖野草庵➖

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