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理論


理論はわかりやすくあるべきだ。 かと言って短か過ぎてもだめだ

理論は聞かねばならない。
聞いていただけるためには理論を語るに相応しい人にならなければならない。
それは相手に理解できるように話すことです。

学校の先生は聞くのが当たり前と思ってはいないか。
生徒は知らないから自分のために一生懸命聞きます。
それが普通先生と生徒の関係だと思います。
が、時としてこの関係が崩れる時があります。
それは生徒が先生の話を理解できない時である。
40人全てが同じ理解ができるかというとそれは難しいことだ。
人間に派閥ができるのはこうした関係が保てなくなるからだろう。
だから、落伍者や裏切りが起こります。これは自然なことかもしれません。
然し、裏切りは「悪」だと考えます。なぜでしょう?

学校の成績を考えますと、AランクからBランクに移動するようなものでしょう。
渡り鳥がその時期が来ると場所を移動するようなものでしょう。
えっ?「裏切りは違う」
裏切りは、まず条件として、敵味方があり、味方から敵側に内通することを指す。
また、約束や信義を破ることであり、これは良くないことです。
成績や渡り鳥にはその条件がありません。
まあ、親や先生がその子の成績に「期待」していれば別です。
だから、「期待するな」と教えます。

理論とは、(『広辞苑』)より
1、theory
①科学的において個々の事実や認識を統一的に説明し、予測することのできる普遍性を持つ体系的知識。
②実戦を無視した純粋な知識。この場合、一方では高尚な知識の意であるが、他方では無益だという意味もある。
③ある問題についての特定の学者の見解学説
2、理論は論争である

『論語』や『聖典』『仏典』が重宝されるのは理論的であると思われます。
然しながら、その実践がなければ「絵に描いた餅」であり、食べもできずまた感じることもできず宝の持ち腐れということになるでしょう。

ちなみに立憲民主党は官僚育ちの議員が多く大変理論的に話をしています。で、大体ほとんどの人が騙されている。維新もそうですね。

私はどちらかと申しますと大変「口下手」です。したがって非常に感覚的であります。
これは日本人の特性であると思われます。
然し、政治をする人はそうではありません。非常に論理的です。
だから、西郷隆盛公が好かれるのもそうした論理が少なく慈愛の人だったからです。「敬天愛人」はそれを表している言葉です。

私が仏教を好きなのはこの感覚を磨くことを基礎としているからです。

以前六識を語りましたがその六識を生み出すのが六根で、眼・耳・鼻・舌・身・意と言います。
江戸時代まではラジオやテレビがありませんでしたので感覚に優れた人が多かったのでしょう。
そこに剣道や武道はたまた花道や茶道です。

明治維新になり、いきなり産業革命です。
人間が尋常でいられるわけがありません。
外国との戦争はどの国にとっても必然的だったと思われます。

にも関わらず、人間は懲りないんですね。
そういえばありましたね安部譲二作の『塀の中の凝りない面々』

➖野草庵➖


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