渡部昇一流『四書五経』の解釈 279
😈 歴史が判断する (『孟子」滕文公)
🌍 我れを知る者は其れ惟だ春秋か。我れを罪する者は其れ惟だ春秋か。
「春秋」とは、孔子の書いた魯の国の歴史書である。
孔子はこの本の中で悪人を批判し、善人を褒めた。
だから孟子は、自分を褒めてくれるのは「春秋」だし、
自分を良くないと断罪するのも「春秋」である、と言っているのである。
つまり、褒められるにしても、貶されるにしても、
それは正しい歴史が判断してくれるのだという意味になるだろう。
2024年6月1日(土曜日)晴れ16℃〜26℃
また一つ世の中が変わった気がする。それはAIの誕生だ。
AIの情報量は人間の情報量とは比較にならないほど多いということである。
並外れた計算力で一気に回答を導き出すのはとても魅力的だが、
すべての用途に利用されるのはいささか危険であると感じざるを得ない。
あくまでも物理的用途に踏みとどまるべきだろうと考えるが、
人間の知的欲望は止まることを知りませんからこの祈りは通じない気がします。
だから、私がなぜ危険であるかを実証するしかありません。
さて、それは可能だろうか?果てない研究のような気もしますが、
この地球上のものすべては一対のもので成立しています。
男と女、右と左。上と下、縦と横、というようにです。
また、物には心というものがありません。が、物には作り手の魂が宿ります。
ベルトコンベアー式のような大量産出の物であってもそこにはなんらかの魂があります。
魂という実に非科学的な思考ではありますが、科学がある以上非科学は存在します。
そもそも非科学とは何か?問題解決のアプローチの仕方が神に頼る、他者に頼る、というのが「非科学的態度」だと言います。ですから、AIに頼ることも非科学的態度と言えます。因みにAIは科学と言えるでしょう。
しかし、回答は数学的場合を除いては一つではありません。そしてその意思決定をするのは人です。その人に意思決定能力が欠けていれば正しい判断が導けません。ですから、AIに頼る前に人間力を人が身につけなければなりません。
つまり、結論を言いますと、「人間は科学的に生きていけない動物」だということになります。果たして人間修養で人間は科学的生き物になれるでしょうか?
科学的生物になれた時こそひょっとしたら人はAIを必要としなくなるかもしれません。人は非科学的存在であるからAIを必要とするのでしょう。また、
科学的生物になれた時、正しいAIの選択ができるようになると考えられます。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊
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