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人の一生

人生120年時代に思うこと

私も両親があってこの世に誕生しました。
が、時期が少しでもずれていたら私という子供は誕生していません。
この見事なまでの自然の営みには驚異を感じます。
それでも殺生から逃れることはできませんでした。
人を殺した事はありませんが、蚊やゴキブリ、といった人間に害を与える生き物は殺生しました。今でもそうです。
自然の中での暮らしではこれは必然的に起こる事です。
近代建築力ではこれを防ぐように設計できるようになりました。
人類はそういう意味では確実に進歩しています。

そんな中、思い出されるのは、シュヴァイツァー博士の研究心です。
研究対象の蚊を殺さなかったと言います。が、結局、その蚊の媒介によって病に倒れました。皮肉なモノです。
人生にはどんな災難が待ち受けているかわからないモノです。
関東大震災も、戦争も私は知らずに生きてきましたが、
父や母は経験しています。

が、遠い異国では戦争が起こりました。
私は何をする術もなくただの傍観者でありましたが、
世の中では「戦争反対」のデモが起こりました。
日本は敗戦のことを忘れたかのように経済成長していました。
私はまだまだヨチヨチ歩きのひよこでしたね。
それでも負けん気が強く屁理屈をよく言っていました。
親の傘の元、ぬるま湯に浸かっていました。
然し、父はスパルタでしたから怖い存在ではありました。
今思えばこのスパルタがあったからこそ生き抜いてきた感もします。
だから、私にとっての家庭は貴重なモノでした。
家庭があったからこそ社会という世界で生きられたのだと思います。
他の動物も我が子の安全を命懸けで守ります。
郭公という鳥は他の鳥に子育てを託しますが、人間社会でもそれはあります。

そして今、世の中は今まで私が体験してこなかった社会になりつつあります。
阪神淡路大震災、社会党の消失、そして雇用の変化、インターネット
目まぐるしく世の中は変化していきました。これをドックイヤーと呼びました。
が、ここまでは政治の仕組みに助けられてきたように思います。

私の意識が大きく変わったのは湾岸戦争です。
米国船に対する給油が決定された時、自衛隊の海外活動の決定、
憲法9条が脅威にさらされました。これに反対したのは共産党と社民党だけです。
日本の世論の報道も私の目指す方向とは違いました。
日本全体が自分の敵だと感じました。
この頃から本格的に政治に目覚めたようです。

そして、日本維新に期待をかけましたがモノの見事に裏切られました。
言っていることとする事がまるで異なったのです。これは嘘つきです。
これは政治家に留まらず一般社会でもある事です。
他の動物はこれは絶対にやりません。人間だけがする事です。
言葉を持つ人間の大きな罪です。「オレオレ詐欺」と同じです。

人生120年を一気に語るつもりでしたが、無理でした。

➖野草庵➖



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