四苦八苦
♠️仏教は梵語・漢語・日本語そして英語で考えたら・・・・・・
日本には日本神道というものがあります。神社はその象徴です。
が、日本の神は一人ではありません。「八百万(やおよろず)」存在します。
ギリシア神話にもたくさんの神がいます。
インドにもたくさんの神がいます。
仏教にもたくさんの仏が存在します。
私は子供の頃、神は「誕生」で、仏は「死」というふうに考えていました。
今もそのように考えていますが、葬儀には神式もあります。
ここがよくわからないところですが、
日本神道という信仰者が存在していることを示しています。
家には神棚・仏壇が設置されていましたが、私は信仰者ではありません。
日本人が生活慣習としていただけです。今もそれは継続されています。
が、しかし、私は両者の信仰者ではありません。
どちらかと申しますと、無信仰者ということになるでしょうか。
しかし、家に神棚・仏壇はあったほうがいいと考えます。
なぜなら毎日お世話が必要だからです。
お世話がない生活よりあったほうがいいと考えます。
それは人を修養するからです。人は完全ではありません。
特に思春期は心身ともに変化のある時です。
飼っているオカメインコも今発情の時期です。
これがまた大変なんです。ちょっとかわいそうになるんですけどね。
だから、人間て残酷なんでしょうね。
エジプトの古代の建物には人間と動物の性交の壁画があります。
これが真実だとは言えませんが事実であることの表現です。
ちょっと今日は難しいタイトルをつけてしまいました。
考えを定まっていないうちに進行させてしまい結論にまで辿り着けないようです。
要は何が言いたかったかと申しますと、人間には修養が必要だということです。
で、原始仏教は梵語が主体ですが、漢語に訳され、そして日本語に訳され、
今は英語(鈴木大拙)にまで訳されています。
なので、今の私のように、はたまた発情したオカメインコ状態、
つまりはパニック状態と言わざるを得ません。
ここが実況中継のいいところでもありますが、
電波状態が悪いと乱れてしまうという欠点があります。
とんだハプニングを起こしてしまいました。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊
〈今日の一言〉
悔しいことだが、それが真実としたら私たちは謙遜を知るべきである。
有意義な発見の多くは、熟考よりも偶然の産物であり、意図したというよりも偶然の出来事なのだ
ーチャールズ・カレブ・コルトンー(英・作家)
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