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水清ければ魚棲まず

孤高の人

人格があまりに潔癖すぎると他人が近付きにくく、親しい仲間ができにくいということ。

近付きにくい人というのは自分とかけ離れている人、つまり、生活のレベルや、社会的地位のある人、とは距離感があるような気がします。
お互いに近寄ることはないように思います。

が、全知全能の神には多くの人が集まっています。
この違いって何でしょう?

きっと神の方から近づいてくるからだと思います。
それは信者による布教活動によるものです。

政治家って選挙がある時は大衆の目の前に現れますが、
選挙が終わると滅多に大衆の目の前には現れません。

一瞬にして人格が豹変してしまうようです。

しかし、神の場合はそれとはまた少し違います。
神には実態がないからでしょう。
そして、神の心を許した人は自らがひざまづきます。
それは自分の苦しみを和らげてくれたからでしょう。
すなわちそれが「救い」なのでしょう。

でも、方向を変えて考えれば、自分も清き存在になれば、その清き人に近づくことになります。

が、こういう方向に流れる人は少ないようです。

教義が難しく実行できないことの方が多いのかもしれません。
むしろ、崇めている方が楽なのかもしれません。

信仰心を持つ人の多くがそうあるのでしょう。

友とは何であるか?
友をどう考えるかによってこの「水清ければ魚棲まず」の解釈が違ってくるように思います。
➖野草庵➖

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