性格を正しく知る③
〈愚公山を移す〉(中国の故事)
物事は、馬鹿正直に努力を続けていけば、必ず成功できるとの意味に使われている。
昔、冀州の南、河陽の北に、太行山と王屋山という二つの山があった。この山の麓に愚公と
名乗る九十歳近い一人の老人が住んでいた。どこへ行くにも山が邪魔になってしまい不便で
仕方がなかった。で、愚公は家の者を集めて
「みんなで力を出し合って、あの険しい山を平らにして道を切り開こうと思うがどうだろうか」
と相談した。一同は賛同する。が、妻だけが首を傾げ
「人間の力では、小さな丘でさえ切り開くのが困難なのに、あの太行や王屋のような大きな山がどうなるものですか。切り取った土や石をどこへ捨てようというのですか」
そう言って反対した。しかし、一家の者たちは、大変な意気込みで
「土や石は渤海の浜に、隠土の涯に投げ捨てればいいでしょう」
と言って決心を変えない。愚公は三人の子どもと孫たちを引き連れ、石を割り、土を掘り返
して、モッコで渤海に運び出す作業を始めたのである。だが、一年かかってやっと渤海まで
一往復するというありさまだった。
黄河のほとりに住む智叟という人が、この様子を見て、愚公に忠告した。
「そんなことしたって、一生涯かかってもしれたものじゃありませんか。老い先短いあなたに、とても山など動かせるわけがないでしょう」
愚公は、憐れむように嘆息しながら、
お前さんみたいな浅はかな心の持ち主には分かるまい。たとえ、わしが死んでも、子どもが残る。子は孫を産み、孫はまた子を産む。子々孫々途絶えることはあるまい。こうして、倦まず弛まずやれば、山は増えないのだから、いつかきっと平らになる時が来るでしょう」
と答えた。智叟はその気の長さ、決心の堅さにびっくりした。が、もっと驚いたのは、二つ
の山の王である蛇神である。山を本当に切り崩されてはかなわないと、天帝に訴え出た。天
帝は、愚公の真心に感心して、力のある神に命じて、山を背負わせ、一つを朔東の地に、一
つを雍南の地に移させた。
『列子』に出てくる寓話である。まことに中国的なスケールの大きな話ではあるまいか。事
にあって行動する時、智叟にならずに、愚公のようになりたいと考えるが、しかし、我々凡
人は、なかなか愚公にはなりきれない。目先の利にとらわれ、困難に気力を失ってしまうか
らである。
➖「座右の銘」研究会➖
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➿今日の一言➿
人生の大目的は知識ではなくて行動である
➖T•ハクスリー➖