道東の旅 大好きな人たち
やっぱり。
細々とアップすることはできなかった。
器用じゃない。
25日からの4日間
今ココの出会いを続け、
心が満たされた。
人も、食も、景色も、全て
屈斜路湖畔のアイヌ民族博物館で見た強烈な映像。
キツネのイオマンテ
大正時代から75年ぶりに行われた狐の魂を父母の国へ送る祭祀を撮った
「チロンヌプカムイ イオマンテ」
その短縮版を見た。
出てきた「日川善次郎エカシ」
我が子のように大切に育てた狐を神の国へと送り返す儀式である。
祈りの言葉を間違えれば神の怒りをかう。
狐の魂が正しく神の国へ帰られるように、慎重に放つ言葉に
何か、心が動いた。
強烈な映像を見て、
一路、阿寒湖のアイヌコタンへ。
複雑な気持ちのまま、コタンに向かって歩いている最中に、
カタカムナの講座を始め、皆さんに伝え始めた時から、
ずっと、生徒さんとして参加し続けてくれていた、
心の友が、神の国へ旅立ったと連絡が入った。
彼女が旅立ったのは、その日の朝だったらしい。
その日の朝、
屈斜路湖畔で龍に出会った。
樹が、龍の形をなして、大地に接吻している。
この姿が、慈愛に満ちていて、何とも言えない気分になる。
龍という存在を信じられず、
龍は蛇だと言い続けてきた私が、
ここで、あぁ本当に、龍は存在したんだと思いが反転した。
ボーダー・境界線・反転・今までにないこと
今までにないことは、すべて奇跡だから、奇跡が起こったんだなと
心の中で思っていた。
彼女の訃報を聞いた時、
神の国に還った彼女は、ボーターを超えたんだ。反転、移行、超えて…。
ふと、今朝見た、龍樹を思い出し、イオマンテで神の国に還ったツネ吉のことも思い出した。
命は有限だから、
この世の中で、自分の役割を遠慮なく果たそう、と思った。
綺麗な夕焼けに包まれながら、
彼女がいる世界から、いない世界へのボーダーのトキ
ここ、北海道にいられてよかったとさえ思った。
でなければ、大抵、悲しみにくれ、立ち上がれなくなっていたかもしれない。
ふらふらと歩いて、その日の夜に参加予定のプログラム会場を確認していたら、
日川民芸展 というお店を見つけた。
コタンの並びの中にあるのではなく、
ひっそりと、大きな木の裏側に存在している。
もしかして、屈斜路湖で見た映像の中に出てきた
「日川エカシ」の関係しているお店ではないかと入ってみた。
数名のお客さんがいて
漏れ聞こえてくるのは、
「ここでしか買えないモノ」
「これを買いにここまで来た」という言葉。
お店の奥に入っていくと、
あるわあるわ 生のイナウ
間違いない。
日川エカシの関係者に違いない、と思って、声を掛けさせていただいた。
日川 清さん
息子さんだった。
私は、数年前に、ウポポイの伝統芸能上演で見た「ムックリ」の音に魅了され、
そこでムックリを購入して、
その後しばらく、かなり練習して何とか音を出せるようになっていた。
今回も、阿寒湖のコタンプログラムに、
ムックリ制作があったので申し込もうとしたら、
10日前までにしないとできないとお断りをされてしまって、
ご縁がなかったと諦めていた。
ここで、その話を少しだけさせてもらったら。
「昔はな、竹じゃなかったんだぞ。竹なんて、ここにはないだろ。」と、
ご自身で作られた「木のムックリ」を分けてくださった。
竹に比べて、音が鳴らない。
そうしたら、時間を気にせず、教えてくださったのだ。
「明日、もう一度、来ます。
今晩 特訓して、もう一度きます」と約束して、
その日の晩、夜中まで、部屋で猛特訓。
次の日、
「音は出るようになったか?」と迎えてくださり、
貴重な話を交えながら、
長いトキトコロを重ねてくださった。
帰る時には、
淋しくて、泣けてしまった。
あたたかい。
本当にあたたかい。
小さな粒子の交換。
極微粒子って、こういうことを言うのだと改めて感じた。
大好きな人が
また
北の大地に増えた。