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カタチ

台風一過とはいかず、
蒸し暑い時間が続いていますが、
8月は一度も記事を上げておらず。

自分の著作
「カタカムナのチカラ」が
8月8日に発売されたにもかかわらず、
ご案内もままならず。

本当に色々とあって、
自分が書いたもの
より
著作を出そうとした時に起きる
さまざまな現象に
押しつぶされていく「熱い想い」があって
なんだか8月は淡々と過ごしていました。
「熱い想い」がないと動けない人だったことに今更。
でも、それが本当の私のココロじゃなかったことにも今更。

焦燥感というか
燃やし尽くされた残り香というか
やり切った感のないお化けのような残像というか
全く、
上向きにならない気持ちに
焦るわけでもなく
まるで、焦らない自分を誰かに見せつけたいように
淡々と。

そんな中で
24日
東京 某所で企画してくださった講演会に
思いがけず
浮上のきっかけをいただいて
足りなかったピースを受け取ったような気がしています。


台風の前日の真っ赤っかな空

「カタチにならない」をカタチにし続けている日々だったような8月。

某所で祝詞をあげていただいている間に
言葉が風をはらんで
「カタチにならないを、私はいつもカタチにしている」を
言い訳じゃなく自分の信念にできたら
カタチにすることを求められた様々な出来事を、
今は「負」だと感じているそれを、
綺麗にリセットすることができるのかな、と。

等高線
等しい高さに敷かれている線
地図が好きな私は、等高線が好きで、
同じ等高線に同じような植物が生息しているのを見て
彼らの世界には段階があるといつも感じていました。
ランクとか、次元とかじゃなくて
・何かを生もう
・カタチにしよう
なんてこともなくて
それでも、同じ等高線上に、全く自然に同じような風景が広がる現象が
私にはいつも不思議でした。
私たちの目線に置き換えると
自分たちの持っている性質が、等高線で括られているのを
同じ波動とか、同じステージと呼ぶのかと。
頑張って変容しよう。
次のステージに行こうと生きてきたけど、
それって誰に思い込まされていたんだろう。
明日はアスナロになりたいと思っているのは人間だけだと感じた
風でした。
カタチにするって、大事なことなんだろうけど
私にとっては、二次波動的なことで
どうでもいいことだと思ってたことに気づいたら
ようやく、
いろんなことを紹介できるようになった気がしています。

次の朝に届いたメール

「今日は、必要なものは何かを意識します事が大切です。
 大切なものを無くさないように、なさってくださいませ。」


暑い夏が終わりましたね。
来年の夏は
今年のスタイルとは全く違ったトキトコロを過ごせそうです。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。






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