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【ショートショート】世界が騒がしい夜には
……にゃーん。
…………にゃーんにゃーん。
………………にゃーんにゃーんにゃーん……にゃ
「ああー! もう! うるさい!」
私はそう叫んでから慌てて口を手で押さえると、周りをキョロキョロと見回した。
ここは私が一人暮らししている部屋なので、他には誰もいない。
けれど、だからこそ、午前2時に叫んだりするのはまずい。
とりあえず、しばらくその体勢のままで過ごし、上下両隣からなにも聞こえてこないことを確認すると、私はようやく手を口から外した。
その間も、部屋の中では絶え間なく「にゃーんにゃーん」という声が響き続けている。
「スミ、お願いだから鳴き止んでよー」
私は自分が座っている机の脇、ベッドの上にいる黒猫にそう声をかけた。
ペットのスミだ。
猫といっても、本物の生きているネコではない。
最近流行りの、いわゆる『ペットロボット』というやつだ。
発売された当初は「いかに本物の動物に近づけることができるか」ということが注目されていた。
けれど、少し前から見た目や行動が本物そっくりというだけでなく、スマートスピーカーや、離れて暮らす両親の見守りといった便利な拡張機能を自分で選んで搭載できるモデルが出てきて、現在はそれが主流になっている。
私のスミには、今年発売されたばかりの新しい拡張機能を載せた。
『共感』だ。
自分の気持ちをペットロボットが正確に読み取り、それに合わせた行動をしてくれる……はずなんだけど……
「ねえ、スミってば。わかったから、もうわかったから、ね?」
私の懸命のお願いも虚しく、スミは鳴くのをやめなかった。
少しだけ顔を伏せ、悲しげな声を上げ続けている。
かれこれ2時間はこの状態だった。
――ダメだ。もう限界。
私はコートを羽織り、財布とスマホをポケットに突っ込むと、スミを置いて逃げ出すように部屋を出た。
すがるようなスミの鳴き声を振り切るようにして鍵を閉めると、私は走り出した。
自分の部屋からとにかく離れたかったのだ。
アパートの敷地を出て、なにも考えずに走っていると、気づけば家からいちばん近いコンビニの前だった。
深夜の街を照らすその明かりが目に入った途端、私は急に我に返って立ち止まる。
同時に、激しく息が切れる。普段運動しない人間が全力で走ったりしたせいだ。
――なにか飲み物でも買って、落ち着いてから帰ろう。
私は店の前で呼吸を少し整えてから、コンビニの店内へと入っていった。
ホーホー、ホーホー、ホホッホホーホー……
ホーホー、ホーホー…………
店内に入った瞬間、店内BGMに乗って聞こえてきたのは鳥の声だった。
何事かと見回すと、雑誌コーナーで立ち読みをしている男の人に目が留まった。
彼の肩には、一羽のフクロウが止まっている。どうやらこの声の主はあのフクロウのようだ。
たぶん、あれもペットロボットだろう。
最近はちょっとペットにするには勇気がいる動物のロボットを買うのが流行っているし。
そう思いながら見ていると、彼とばっちり目が合ってしまった。
私が気まずい笑顔を見せると、彼は頭を下げてこう言った。
「驚かせてすみません。この子はペットロボットで、『共感』という機能を積んでいます。僕の感情に共鳴しているだけなので、どうぞ気にせず買い物してください」
「あ、はい」
私は返事をすると、会釈しながら飲み物の棚へと移動した。
やっぱりペットロボットだったのか。
けど、鳴き続けるその子とこうやって普通に買い物に来ているなんてすごいな。
部屋に置いてきたスミのことが頭をよぎる。
――私は、逃げ出してしまったんだ。
改めてそう考えると、複雑な気持ちだった。
飲み物を選んでレジに行くと、さっきの彼がレジを済ませて店を出ていくところだった。
私もレジを済ませると、慌てて店を出て、フクロウの鳴き声を追いかけた。
「あの、すみません!」
私が背後から声をかけると、彼は驚いた様子で振り返った。
肩のフクロウは主人の様子に構うことなく鳴き続けている。
「はい? 何でしょうか」
「あの、その子ずっと鳴いていますけど、うるさいとか思ったりすることはないんですか?」
彼は目を丸くして私のことを見ている。
当たり前だ。知らない女がいきなり声をかけてきているんだから。
けれど、私は堰を切ったように彼に語ってしまった。
「私もペットロボットがいるんです。ネコなんですけど。その子と同じように『共感』を積んでいて。それで今日、ずっと鳴かれてしまって。どうやっても鳴き止んでもらえなくて……私……あの子を置いて逃げてきちゃったんです。だから、どうしてあなたがその子が鳴き続けていても平気なのか、その……気になってしまって」
「『共感』を積んでいるなら、その子が鳴く理由はわかってるんですよね」
「……はい。だからこそ、しんどくて」
そうだ。
『共感』を積んだペットロボットは、主人のその時の感情に共鳴する。
だから、スミがなぜあんなに鳴いているのかはわかっているのだ。
『半年かけて書き上げた小説が、新人賞の一次選考も通らなかった』
そのことへの想いに共感しているのだということは。
けれど、「小説家志望がそのくらいでめげていてどうする」「いい勉強になった」「次のコンテストに向けて早速構想を練ろう」といくら思っても、行動しても、スミは悲しい声で鳴く。
本当は泣きたくてしかたがない私の気持ちを見透かすように。
それが、耐えられなかった。
「僕は今日、第一志望の会社に落ちました。この子が鳴いているのはそのせいです。高校の時からやりたかった仕事だったんで、内心、絶望してますから」
「あ、あの、」
見ず知らずの人に、私はなんてプライベートなことを語らせているんだ。
慌てて止めようとしたが、彼は構うことなく話を続けた。
「まあ、今のこの子の状態がうるさいかと言われたら、うるさいです。けど、このままでいいと思ってます」
「このままでいい?」
「はい。楽しいことをしたり、『次に向けて頑張ろう』って考え方を変えて気分を上げればいいのかもしれません。けれど、それって今の自分の気持ちに嘘をつくことになるんじゃないかなって思ったんで、鳴かせたままにしてるんです」
そう言いながら、彼は鳴き続けるフクロウの腹を優しく撫でた。
『自分の気持ちに嘘をつく』
その言葉を聞いた時、私は衝撃を受けていた。
悲しいことがあっても、それを耐えて、頑張ることに意義があるのだと思っていたから。
けれど、彼が言うように、それは私が今感じているこの気持ちを誤魔化しているだけだったとしたら?
そんなことは考えたこともなかった。
「そうやって嘘をついてごまかしても、この子はたぶん明日もこんな感じで鳴き続けると思うんで。それなら今の気持ちにちゃんと向き合って、それから次を考えればいいかなって思ったんですよね」
「そう……ですね」
彼の考えを聞いて、自分が恥ずかしくなった。
私は、自分が今どんな気持ちでいるのか、きちんと向き合ったことはなかった。
『次へ向かって、とにかく、一刻も早く気持ちを切り替える』ことばかりを考えていたからだ。
スミから逃げてきたように、私は自分の今の気持ちから逃げていたんだ。
――帰ろう。
帰って、スミと一緒に自分の気持ちと向き合おう。
私は彼にお礼を言って、さっき買った飲み物を渡すと、また走って部屋に帰った。
「ただいまスミー! ごめんねー!」
私は部屋に入るやいなや、駆け寄ってスミを抱き上げた。
スミはまだ鳴いていた。
ずっと泣いてくれていたのだ。泣きたかった私の代わりに。
「ごめんね、スミ。本当にごめん」
いろいろな感情が混じって涙が溢れてくる。
すると、スミは鳴くのをあっさりやめ、涙が流れる私の頬に顔を寄せて、じっとそばにいてくれたのだった。
その夜はスミをきつくきつく抱きしめて眠った。
これからも、この子が、私の心が騒がしくなる夜があるだろう。
けれど、もう逃げ出したりはしない。
私はこの子と、夜を乗り越えていく。
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