内側にたまっていくいたいやつ
とある知人の送別会に誘われた時の話。
その方はお酒が飲めないので、
急いでノンアルのスパークリングを購入した。
職場から真っすぐ向かわなきゃいけなかったので、
冷蔵庫を借りて冷やして、
こどもたちもいるということだったので、
こどもも飲めるようなテイストのものを買って、向かった。
その方が喜んだかどうかはわからない、わからないのだが、
誘ってくれた人と、
その友人に、
「これ甘すぎるねー」
「もっとおいしいやつたくさんあるんだよーwww」
「ふつうのジュースに炭酸入れた方がおいしいんだよー」
と、言われたことを、最近とてもよく思い出してしまう。
おいしいとか、おいしくないとか、そういうところではなくって、
「少しでも、楽しい時間が作れたら」
「少しでも、その貢献ができたら」
というわたしの想いを粉々に踏みにじられたような気がした、
あのとき、本人たちに、向かって言えたらよかった。
「お口に合わなかったならごめんなさい、でも、
わたしはわたしなりに、お酒の代わりになれば、
こどもたちも楽しく飲めたら、と思って、持ってきたのです」
いえなくて、くるしかった思い出になって、たまったままのものが、
時折顔を出す。
どうやったら癒せる?って、
そのときのわたしに訊く。
今の痛みに寄り添いながら、訊ねる。
まだ、抱きしめているなにかに。
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