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銀杏【エッセイ869字】

 私の通っていた高校の構内には見事なイチョウ並木があった。毎年秋になると、あたり一面は美しい黄色の世界になった。

 そう聞くと、そのイチョウ並木は生徒達にさぞ愛されたことだろうと思われるかもしれないが、実はその逆だった。それらのイチョウの木々は大量の実をつけ、それが地面に落ちて踏まれ、あたり一帯は鼻をつままなければ通れないほどの臭気に包まれた。ローファーで踏んでしまったら最後、一日中イチョウ臭に苛まれながら過ごすことになる。私達はあたかも忍者のようなステップで、実を踏まないように通行するのが常だった。

 そんな中、毎年ビニール袋を手にイチョウの実を拾っている男の子がいた。喋ったことのない、別のクラスの男の子だった。正直なところ、私はその男の子を冷ややかな目で見ていた。何と言ってもイチョウの実は臭いし、銀杏といえば茶碗蒸しの底に申し訳程度に入っているパサパサしたあれだ。特に美味しいわけではない。その子がいつも傷んだ服を着ていたというのもあって、イチョウの実を拾わないといけないくらい生活が大変なのかなと想像したりもした。


 時は経ち、私もいい大人になった。秋の味覚として、新鮮な銀杏を食べる機会があった。

 私はまずその見た目に驚いた。半透明の翡翠色をしたそれは、まるで宝石のようである。そして、食べてみて更に驚いた。もちもちした食感の中に、若干の苦味が効いて、ものすごく美味しい。

 私はその瞬間、高校生の頃の私を張り倒したくなった。あの男の子はこの味を知っていた。私は知らなかった。その無知な私が銀杏を拾っている男の子を冷ややかな目で見ていたのだ。軽蔑されるべきは私の方だった。

 私が知らなくて他の人が知っている素晴らしいものは、世の中にたくさんある。間違っても、知らないという理由だけでそれらを排除したり、軽く見たりしてはいけない、と私は強く心に刻んだ。


 紅葉の季節、地面に落ちている銀杏を見るたびに、私はあの名前も顔も忘れてしまった男の子のことを思い出す。今年もどこかで幸せに、美味しい銀杏を食べていてほしいなと、秋空を見上げる。

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