努力することが大切だと思った、きっかけは?
今週も面接を控えている。
もし、
「どうしてこつこつ努力することが大切だと思ったのですか?」
と聞かれたら、犬の話をする。
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私は、つい一週間前、たまたま立ち寄ったペットショップで一匹のチワワを見た。小さい身体ながら、その愛くるしさに、翌々日もペットショップに自転車を走らせた。
この日は、ずーっとその子の前に居座っていたため、店員さんが「抱っこしますか?」を声をかけてきてくれた。そして私はその子を抱いた。改めてその小ささと、甘え上手な可愛らしい姿に心奪われました。飼う気なんて毛頭なかったのに、犬と暮らす生活を少し想像してしまって、今も頭から離れません。
このことを先日、友達に相談したら、「(飼うのは)やめな」と言われました。即答でした。
今の状況(学生だし、一人暮らしだし、内定ないし、就活中だし、奨学金借りてるし…)で、犬を飼いたいなど、誰かに言えば必ず反対されると、心構えてはいたけれど。少しそう思っただけなのに。この少し芽生えた心を、急に踏み潰された感覚に、私は苛立ちを感じました。(今日となっては、相談したのは良かったなと思っているけど。)
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…閑話休題。
すなわち、私は、犬と出会って「運命」を感じたのであった。
だけれど、「これは運命だ!今しかないんだ!」と振り切って即決できるものではない。犬を飼うというのは、気に入った雑貨を買うのと、レベルが違うだろう。そう思ってる。今の私は、周り納得させられる生活を出来ていないし、金銭面も不安定だ。何もかも足りていない。
足りてなくても、今から始めればいいじゃないか。という考えもある。
けど、やはり生命を預かるのに、そんな楽観的な決断をしてはいけないと思う私なのだ。そう考えて、犬よりまず、自分の就活についてやるべきだという結論に至ったのだけど…。
もしも、私がすでに就活を終わらせていたら?
もしも、私が整理整頓をしっかりできて、部屋をいつも綺麗にしていたら?
もしも、私がしっかり睡眠を取り、毎日3食ちゃんと作っていたら?
もしも、卒業制作の構想をすでに一人でちゃんと進められていたら?
…色んな、「もしも」が浮かんできた。これをないものねだりというのか。
でも、私が、この「もしも」をクリアした人間になっていたら…?私は周りを納得させて、自分自身にもただの欲で動いているわけではない という覚悟や責任を持って、「あの子」に向き合えたのだろうか…。
「運命」を運命だと自覚していながら、自分の力及ばすして逃すような…
こんな事二度と御免蒙る……
だから、私は今やるべき事をこつこつこなしていく事が、結局は一番大事なんだっていう考えに行き着いたのさ。
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一番言いたいのは、
なんかそーいう、ありふれた日常の中の「機微」から、人は自分を律する事ができるよな。って事〜。
これ、私の強みとして売っていきたいよ〜。でも、これ、私一人の中の話だから、就活ではあんまり印象残らないんだろな〜。結局、経験した努力譚が重宝。
は〜就活がんばろ〜。
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