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ケンブリッジ滞在記|エッセイ(全文無料)


はじめに

 私は英語がよくできないが、かつて3週間の短期ながらも、留学をした経験がある。
 あれは2009年夏のこと、英国ケンブリッジへの短期留学だった。
 このことを書いてみようと、初め安直に思い立ったが、2009年といえば15年も前のことで、正直、今となっては記憶曖昧な部分も多い。
 ただ幸いにして、当時の私は手書きのメモノートを残していた。これは帰国後、留学経験について記述しようと計画し、その資料とするために残していたものだったが、その計画は私の怠慢により、今に至るまで実現することがなかった。
 そこで、この手書きメモノートを資料として、できる限り記憶を喚起し、多少の考察を試み、また回想にふけることにした。

資料となる手書きメモノートの紹介

 手書きメモノートのおおよその構成はこうだ。

  • 初めに1ページずつのメモが数枚。これにつづいて

  • 【月間ダイアリー】のようなマス目を用いたメモ(その1)、

  • また1ページずつのメモが数枚、

  • また【月間ダイアリー】のようなマス目を用いたメモ(その2)、

  • 最後にまた1ページずつのメモがあり、これが【日ごとのダイアリー】のように、各日ごとにメモが書かれている。

 以上、合計ページ数としては30ページほど。
 だいたい一日終わったその晩、または翌日以降、振り返って書いていたようだ。

 この最後の【日ごとのダイアリー】が、私の手書きメモノートの主となる部分である。
 【月間ダイアリー】は、その2の方が、その1に比べて詳しいが、いずれにせよ【日ごとのダイアリー】に比べると記述が薄い。
 そこで基本的に手書きメモノートの頭から見ていくこととし、2つの【月間ダイアリー】は【日ごとのダイアリー】の補助として位置づけ、順にページを追っていくことにしよう。

最初のページ

2009 イギリス
成田EX
モンタン
外国人ばかり
ヨーロッパの地下てつを思い出す

私の手書きメモノート

と書いてある。
 これは大した中身もなさそうだ。
 詳しく記憶喚起することもできないが、こうだろう。
 2009年のイギリス(ケンブリッジ)短期留学のメモの始まりであり、その出発のために成田エクスプレスで空港まで行って、おそらくその車内でイブモンタンの歌を聴き、おそらく空港で外国人が多いと感じ、その後かつて経験したヨーロッパ旅行での地下鉄乗車を思い出したのだろう。
 なおこのヨーロッパ旅行というのは、さらにさかのぼって、私が二十歳前後のころ経験したものだが、ここでは記述を割愛する。

留学参加を決意

 私がこのケンブリッジ短期留学を思い立った経緯はこうだった。
 もともと私は英語もできず、語学に大した興味もなかった。日本語だけで手一杯だった。だからそれまで留学というものに、微塵も興味を持たなかった。そこへこの2009年、たまたま私の耳にケンブリッジ短期留学の話が聞こえてきた。聞こえてきても、初めは興味を持たなかった。しかし年長の友人たちがこう言った。
「自分はこの留学を経験した。たとえ英語が苦手でも、これは大いに楽しめる。よい人生経験になる。とにかく楽しい。行かない手はない。」
とこうだ。
 この言葉はあくまで要旨を示したものだが、その話しぶりや熱気を含め、この友人たちのすすめによって、私は大いに興味をひかれた。それで私はうってかわって、ケンブリッジ短期留学に積極的になった。この友人たちの言葉のほかに、特別なわけもなかったが、そこは私にも理由はわからない。こうして私は突如として、苦手な英語を必要とする留学への参加を決意したのである。

 ケンブリッジ短期留学への参加を決意したからといって、私は格別の準備をするつもりもなかった。せいぜい配布資料に目を通し、現地の文化や地理などを確認しようというくらいのもので、旅行の準備に毛が生えた程度に考えていた。いま思えば不真面目なようだが、付け焼き刃的に英語を勉強したところで私の実力がつくわけでもないし、また、この留学の雰囲気としてそこまで厳格な雰囲気でもなかったということが、その理由だろうか。

 ところが、そう簡単にはいかなかった。I教授によって、留学参加者に向けて、複数回、英語の勉強会が開催されるというのである。
 このケンブリッジ短期留学は、詳しいことは忘れたが、I教授のシンポジウム参加に関連して企画されていたもので、I教授はいわばこの留学制度の長であり、何人もこれに逆らうことは許されなかった。
 I教授は我々留学参加者に英語勉強会への出席を促し、私が
「こないだはちょっと都合で行けなかったんですよお、えへへ、また今度。」
などとのらりくらり逃れようとしても、あの手この手の権力的プレッシャーをかけてきて、私もとうとう一度は出席せざるを得ず、結局
「大変勉強になりました。あははは」
などと和解するに至ったのだった。

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西~南
バンケティングハウス
国会 ウェスト寺 バッキン宮殿
(ウェ大聖堂)
(ハロッズ)


ロン塔、
タワブリ、
St.P大聖堂
大火記念塔


大英、コヴェ、(ROH)ENO、
ナショナルギャラリー

私の手書きメモノート

と書いてある。
 これは主にロンドンの観光名所をメモしたものであろうか。
 ひとつずつ詳しく思い返すことはしない。

 このメモページは、直後に始まる【月間ダイアリー】の前に位置している。
 また、【月間ダイアリー】が始まった後も、本ページと同じような単独ページメモの記載はあるが、それはその内容からして、明らかにケンブリッジに到着してからの出来事だ。
 このあたりから推測するに、本ページの観光地調べは、たぶん到着前に記載したものだろう。
 だとすれば当時の私の意気込みがうかがわれる。

 渡航前に関する記載は本ページが最後である。次のページからは、ケンブリッジに渡ってからのことが書いてある。それでは、これより中身に触れていくことにしよう。
 ケンブリッジ滞在記の始まり始まり。

つづく


*補足*

 本記事は「ケンブリッジ滞在記」(連載エッセイ)の一部です。
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