体さん、ごめんね。
2019年、5年くらい前に書いた文章です。
稚拙で青臭くて恥ずかしい部分もありますが、自分の成長記録でもあるので、なるべくそのまま載せたいと思います。
体に対して「雑に扱ってごめんね」と思う。
体調を崩すということは、そういうことなんだ。
心が弱いと体を雑に扱ってしまうね。
自分の心の弱さを見つめてみる。
他人に良く思われたいから(心が弱いから)
他人の顔色に一喜一憂するから(心が弱いから)
他人に評価されたいから(心が弱いから)
そのままの自分を認めるのが怖いから(心が弱いから)
役に立たずに生きることを自分に許可できないから(心が弱いから)
頑張っていない自分を許せないから(心が弱いから)
出来ませんて言えないから(心が弱いから)
悲しみを無かったことにしたいから(心が弱いから)
今まで生きてきた価値観を変えるのが怖いから(心が弱いから)
頑張らずにいられない。
見栄を張らずにいられない。
言いたいこと言わない。
空気を読む。
そうやって作り笑顔で(心が弱いから)
義務と打算の選択をして(心が弱いから)
やけ食いや嗜癖に没頭して(心が弱いから)
ゲームやスマホに熱中して(心が弱いから)
ますます自分の言いたいこともやりたいことも分からなくなって(心が弱いから)
他人をこきおろして安心している振りをして(心が弱いから)
実は自分自身への信頼感がゼロなのを(心が弱いから)
自分に対して、誤魔化す(心が弱いから)
傷つくことは弱さではなくて、傷つくことを理由にやるべきことから逃げることや、今傷ついていることを認めないのが弱さなのだとしたら、せめて今の自分の弱さを認めて置こうと思う。
傷つくことが出来る人間は強い。
傷つくことから逃げる人間は怒る。
怒りは、発散または蓄積される。
その乱暴さで、自分を扱い、または他人と接する。
心の傷で人は死なない。
死ぬのは、全速力で逃げて、逃げて、逃げて、逃げるから。
逃げることに疲れたら人は死ぬのだ。
心が疲れて解離するのか、心の身代わりに傷つけられた体が壊れるのか。
だから、病死は自殺で、自殺は病死。
人は自分で決めた死因以外で死ねない。
(但し無意識)
生死に、喜怒哀楽に、貴賤はない。良し悪しもない。意味などない。
ただ、そこにあるだけ。
ならば、どう生きるか。
…楽しい方が良いだろう。
楽な方がいいだろう。
氣がついたら、具合が悪すぎてよく分からない自動書記をやっていた。
なんだよこれ、ブヒー。
ふと過去の嫌な記憶を思い出した時は、ちゃんとその不快感を味合わないと何度でも思い出すが、味わい尽くすといつの間にか消えるのだということを最近の実践で実感している。
他人からみたらどうってことないけど、自分にとっては怖いことを、キチンと怖がりながらやってみるといいんだよ。
怖くない怖くないって自分に嘘をつきながらやっても、余計にこじらせるだけ。
怖いよ?
当たり前。
ちゃんと飽きるまで怖がりなさい。
悲しみなさい。
慣れるから。
痛みや悲しみでは別に死なない。
でも、逃げると、死が近づく。
まだちゃんと生きていない癖に、生意気に死に急ぐんじゃない。
と、頭に浮かんだ言葉は、私の「上の人」からのメッセージなのだろうか。
体を雑に扱って、ごめんね、自分。
※以下、社会活動に関する文章&お知らせです。
薬物治療だけに頼らないメンタルヘルスについて、埼玉県で相談会を実施しています。気になる方は是非ご参加ください。
https://www.kokuchpro.com/event/al_sai_3rd/2881146/
「統合失調症への抗精神病薬の長期投与(維持療法)は患者の予後に貢献していない。」
トーマス・インセル博士(アメリカ国立精神衛生研究所所長)http://blog.livedoor.jp/beziehungswahn/archives/2013-10-02.html
「私たちにはADHDのための独立した有効な試験はありません、そしてADHDが脳の機能不全のためであることを示すためのデータはありません。」
アメリカ国立衛生研究所(NIH)合意声明
「現代の精神医学において、精神疾患の遺伝的・生物学的原因に関する説得力のある証明は、いまだにただのひとつもなされていない」
「正しい化学的均衡とはどのようなものかという概念自体が現実には存在しない。」
デビッド・カイスラー(アメリカ精神科医)
「ADHD、うつ、統合失調症、不安障害、アルコール依存症や薬物乱用、過食症、賭博依存症など、いわゆる精神疾患や心の病、精神障害と呼ばれるものを発見する生化学的、神経学的、遺伝的な指標はありません。」
ブルースレビン博士(心理学者)
「生きている人間の脳の化学反応の状態を評価できる検査は存在しない。」
エリオット・ヴァレンスタイン博士(心理学者)
現在の発達障害という言葉は、もともとは医学発ではありません。https://ameblo.jp/184-mori/entry-12437562636.html
心を病む人に精神薬を処方することが出来るのは医師だけですが、
心と向き合えない精神科医と患者がタッグを組んだとしても、決して快復することはありません。時に薬は患者から主体性を奪う「悪」となることすらあるのです。
その現状に国が気が付きはじめて、診療報酬改定が行われましたが、未だに子供の発達障害への投薬の状況は変わらずです。
大人へですら慎重投与すべき精神薬を子供に、です。
その人から自ら考える意思を奪い、その人の生き方を限定し、有資格者の意見に隷属させるのが現在の医療福祉制度の現状ではないでしょうか。
私は精神福祉の職員でもあり(当時)必ずしもお薬反対派ではありません。
どうにもこうにも行かなくなる位の急性期には使うべきだと思っています。
それには上手な付き合い方と、離れ方が必要でしょう。
精神薬を5年も10年も、酷いと一生涯飲むのは、世界的権威が行った脳外科的な長期実験の結果を参照すれば、考えるまでもなくおかしいのです。
しかし、実際のケースで長期服薬をしている方は、まずは出来る限りシンプルな処方(海外では単剤が主流)まであせらずゆっくりと段階的に長い期間をかけて減薬をして、最小限のお薬で体調が安定するようになってから、断薬についてはゆっくりと考えてみるのが現実的なのかも知れません。減断薬に関しては断薬専門のクリニックを除いてほとんどの医師は知識と経験が乏しいので、患者自身がある程度勉強をする必要があります。
ストレスや薬物で萎縮した脳も、快復を信じることで、快復します。諦めないでください。
はい、単なる精神論です。
しかし、時に末期癌ですら完治させるのが、精神論です。
「精神論」と、数々の言説・論文・実験結果を無視して構築された日本の「精神医学」。
果たして、一体どちらがオカルトなのでしょうか?
それは、あなたが自分自身で判断して下さい。
精神疾患に、薬物治療以外の選択肢を考えてみませんか?
薬から、ヒトグスリへ。
ヒトグスリは、出会いです。
愛や夢や希望です。
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