私が世界でいちばん泣いた作品 ー TVアニメ『WHITE ALBUM2』

9年前の10月より放送されたこの作品。

私がどうしてか、最も泣いた作品である。
最も泣いたというのは、これまで5回観たからである。
もちろん普段から映画を何回も観るという人からすれば大した数ではないだろう。
けれども私は1クールのアニメをこれほど繰り返し観たことはない。他の作品はせいぜい3回が最高だ。

少し私の性質の話をする。
私はたとえば映画館で映画を観ても、家で映画を観ても、特に感想が変わらない。
というのは、映画館の空間に飲み込まれることがないので、どんな作品も冷静に観ているということだ。
もちろんTVアニメも全てそうなのである。
どんなに映像表現に長けた作品も、物語の構成や、技法を中心にふむふむと観ている。
もちろんその上で理屈に感動することはある。けれどもいわゆるエモさにはあまり影響を受けない。
ひねくれて観ているというよりは、感受性の問題なのだ。
私は感受性が乏しい。

その上で、この『WHITE ALBUM2』は、5回観ても、どうしようもないくらいに泣いてしまう。
思い返すとここが上手いとか、思えるのだが、どうしても飲み込まれてしまう。

音楽を聴いただけで、あの風景が、蘇ってきて、どうしてもつらくなる。

ある意味で、私は現実がくしゃくしゃしているとき、心を無にして、観ることで何かを浄化できるような芸術作品が、この『WHITE ALBUM2』以外にまったくない、ということでもある。

私はオールタイム・ベストとして、CLAMP『カードキャプターさくら』と円城塔『文字渦』を挙げているが、これは最上級に理屈で感動したことへの評価である。

TVアニメ『WHITE ALBUM2』をどう評価したらよいのか、私にはよくわからないのだ。
だって世界に、こんなにも理屈以外で感動できる作品が、ないのだから。

けれども、私は理屈を考えてみようと思う。


以下、ネタバレを多分に含みます。




この作品は、『WHITE ALBUM』という恋愛ゲームの10年語を描いた作品で、持ち込み企画として始まったゲームの、アニメ化作品である。

『WHITE ALBUM』は1998年にPCオリジナル版が発売された。
恋愛ゲームとしては異質の「浮気」をストーリーの軸に置いた作品だ。
アニメ版は1986年を舞台としており、携帯電話も普及しておらず、公衆電話ですれ違う恋愛が描かれており、現代とはかけ離れた空気感である。
メインヒロインの二人はアイドルだ。その二人のヒット曲が、『WHITE ALBUM2』の世界でも歌われ続けている。

さて、『WHITE ALBUM2』もまた、「浮気」が軸になっている。
Wikipediaから原作ゲームのあらすじを引用したい。

舞台は2007年秋の東京都。峰城大付属3年生の北原春希は学園生時代の思い出を作るため、軽音楽同好会へ加入し、学園祭でステージに立とうと思うが、本番を待たずしてバンド自体がメンバー間の痴情のもつれから崩壊してしまった。学園祭に参加することを諦められない春希はメンバー集めを開始、屋上で歌っていた学園のアイドル小木曽雪菜を勧誘することに成功する。更に、クラスの問題児冬馬かずさがピアノの天才であることをつきとめ、紆余曲折の末に彼女をメンバーに迎えることに成功する。バンド再結成から本番まで時間も無くバラバラだった3人だが、練習などを通じて結束を深め、結果として学園祭のステージは大成功を収めた。しかし、3人の想いはステージ終了後から少しずつすれ違いを始め、悲劇的な結末へと走り出すこととなる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/WHITE_ALBUM2

屋上で歌っていた小木曽を勧誘したところが肝である。
このシーンは、部室で北原が「WHITE ALBUM」という楽曲のギターを下手くそに弾いているところに、隣の音楽室から冬馬がピアノで合わせているというセッションになっていた。
隣のピアノの主が冬馬であることを、北原は知らない。冬馬はギターが北原であることを知って、合わせている。
冬馬は北原のギターの師匠であるにも関わらず、そこを明かさない絶妙な関係が描かれている。
そしてある日、北原がメンバー集めを諦め、今日で終わりにしようと思っていたところ、屋上から小木曽がボーカルで合わせたのだ。

北原はボーカルを見つけたと思い、屋上の扉を開ける。
「WHITE ALBUM」を歌う小木曽が夕陽に照らされ、輝く。

この風景が、何度も何度も、息づいてくるのだ。
二人のセッションに合わせたその日が、実は両思いであった北原と冬馬のあいだに、恋愛としても「割り込んだ」という形になり、度々フラッシュバックする。

学園祭のステージに三人が立ち、観客を圧倒した風景もそうだ。
その日、小木曽と北原が付き合うことになる。けれども、北原は冬馬への想いを断ち切ることが出来ずに、再び疼き出すことになる。
音楽における三人の絆が、友情となり、そして、恋愛でぐちゃぐちゃになっていく中で、かけがえのない思い出として、蘇ってくる。

小木曽は、「私は二人の気持ちを知ってて割り込んだ」と言う。「でも、出会わなきゃ良かったなんて思わない」ということを北原にも確認する。(13話)
この気持ちを、視聴者は追体験する。
あの風景の美しさを思い出す。感動を共有する。そして壊れていく恋愛関係のどうしようもなさに共に苦しむ。

不器用な冬馬が「私がつまらない男を好きになって何が悪い!」(10話)と北原にぶつけることも、
小木曽が「告白したのは、どうしてもあなたと恋人同士になりたかったからじゃないんだよ」と、裏切った北原を庇いながら、「そんなわけないじゃない」(13話)と泣きながら心のなかで打ち明けることも、
視聴者の心をずきずきと抉っていく。

天才ピアニストと、学園アイドルの二人に想われ、一人を選びながら裏切る、自分勝手でクズな男をセンチメンタルに描いた気持ち悪い作品だとも言える。

けれども、小木曽の優しさに甘えてしまうのだ。
小木曽が、あの日屋上で割り込まなきゃ良かったのかなと思いながら、それでも、あの三人の時間は大切だったと、それだけは否定できない姿に、心を寄せてしまうのだ。
ともに、思い出してしまうのだ。

海外へ立つ冬馬、それを見送る二人、北原と冬馬は小木曽の前で別れのキスを交わし、小木曽は泣きじゃくる。
小木曽「初めて好きな人が出来た。一生モノの友達が出来た。嬉しいことが2つ重なって、その2つの嬉しさが、また沢山の嬉しさを連れてきてくれて、夢のように幸せな時間を手に入れたはずなのに。なのに、どうしてこうなっちゃうんだろう」(13話)
学園祭のラストで披露されたものだが、学園祭のシーンでは描かれなかった、北原作詞の『届かない恋』が最終話ラストで描かれる。
北原の冬馬への想いを表現したリリックが、三人のどうにもならない想いを映し出す。

見方はそれぞれであろうが、三人に感情移入すると同時に、やはり小木曽視点への感情移入が、この物語の美しさを支えているように思う。
二人の絶妙な関係に割り込んでしまったこと、ミスコンにも積極的ではなかった小木曽が一歩踏み出して軽音のライブに出演を決めたこと、ライブでたくさんの観客を熱狂させたこと、仲間はずれにされてしまうことへのトラウマから三人の終わらない関係を望み、一時の間それを叶え、けれども崩れてしまったこと、どうしようもないくらい二人を好きになったこと。
これらのかけがえのない思い出と、小木曽の想いに、私は浸ってしまうのだ。

何度も何度も、あの風景を見たくなってしまうのだ。
何度も思い出して、追体験したくなってしまうのだ。
それはきっと、小木曽雪菜がそうであるように。

恋してた君といた 夏は終わり
連れてきた思い出は 空へ帰るよ

上原れな『After All〜綴る想い〜』作詞:未海

きっとまた いつかまた 冬を待って
懐かしくたどっては ここへ来るでしょう

上原れな『After All〜綴る想い〜』作詞:未海


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